東京在住の2世より投稿がありました。
引用原稿です。
・証言 目次へ
超宗教平和世界の夢を植える
(韓国の雑誌“Headline News”(2008.1月号)で亨進様の特集記事)
青坡洞本部教会、文亨進牧師の人生と宗教活動
文亨進牧師
1979.9 アメリカ ニューヨークのウェストチェスターで出生
2003.5 米ハーバード大学 哲学科 卒業
2005.12 チベット指導者ダライ・ラマと接見
2006.5 米ハーバード神学大学院 卒業
2007.12 本部教会牧師 就任
青坡洞本部教会、文亨進牧師の人生と宗教活動
文亨進牧師
1979.9 アメリカ ニューヨークのウェストチェスターで出生
2003.5 米ハーバード大学 哲学科 卒業
2005.12 チベット指導者ダライ・ラマと接見
2006.5 米ハーバード神学大学院 卒業
2007.12 本部教会牧師 就任
世界平和統一家庭連合、いわゆる統一街に穏やかな変化の風が吹いている。教団創立期以後活躍した一世たちのバトンを受け継ぎ、二世たちが、宣教と企業経営の現場において活発な歩みを見せているのである。もちろん、統一グループ内において、これまで相当な世代交代がなされてきたが、最近、二世たちの前面配置が断行されるとともに、草創期に劣らない活気が満ちあふれている。
“生活の中で幸福と平和を追求しながら、勝利、悟り、平和の精神を伝える牧会活動を展開しようと思っている”
世界平和統一家庭連合の創始者である文鮮明総裁の末の息子、文亨進牧師が、去る12月1日、ソウル青坡洞所在の本部教会の牧師に就任したのが、その代表的な例である。韓国の家庭連合の象徴である本部教会は、これまで文総裁が直接牧会を行ってきた由緒ある教会であり、歴代協会長が担任教会長を歴任してきた古い伝統をもっている。しかし、文亨進牧師が就任するとともに、宣教の一線に新しい風が吹いていることはもちろん、世代交代がより一層加速化するものと予測されている。
文牧師は、アメリカ、ニューヨークのウェストチェスターで生まれ、ハーバード大学の哲学科を卒業し、ハーバード神学大学院で世界宗教学を専攻するなど、正統なエリートコースを歩みながら、宗教指導者として信望を受けてきたという点で、注目を浴びている。
成功した牧会テスト
文亨進牧師は、去る7月から、ソウルの麻浦教会において、「天一国食口礼拝」という名のもと、初めての牧会経験を積んできた。伝統的な礼拝とは全く異なるこの礼拝は、大きく「歓迎の場」、「賛美と感謝の場」、「説教と誓いの場」に分けて進められる。特に、大部分説教を聞くことで終わる既存の礼拝形式とは異なり、牧会者と信徒たちが呼吸を合わせる躍動的形式を指向するという点で際立っている。
「天一国食口礼拝」は、まず夫婦で牧会を行うのが特徴である。彼は、礼拝時間の30分前から、妻である李妍雅牧師と共に、礼拝に参席した信徒一人一人を温かい微笑みと愛の心で歓迎し、また礼拝が終わった後も、同じように、日常における意味ある幸福な生活を祈って見送る。また、彼は、礼拝プログラムのうち、第1章である「歓迎の場」を、夫人と共に進行する。
この礼拝が旋風を巻き起こしたのは、△神様は、審判の神様でなく、愛の神様であられる。△神様の目から見れば、すべての信徒はVIPである。△毎日毎日の生活において、少しでもより多く勝利し、より多くのことを悟り、より平和に生きていこう。△神様に賛美と栄光をお返ししようなどの核心価値のためだ。
また、この礼拝は、教会信徒と家族、そして霊界にいる先祖に精誠を尽くすために、「誠愛」のろうそくをともし、賛美の役事を強化している。
瞑想も、礼拝の特徴。二度の瞑想のうち、最初の瞑想は、礼拝をささげるために準備する時間であり、最後の瞑想は、説教後に、その日のメッセージを神様を中心として受け入れるための時間である。
一方、一週間を過ごしながら困難なことに出遭った信徒のために、一対一で祈ってあげる時間をもち、また霊界と地上の家族を回想する時間をもつことも、伝統礼拝では見られない儀式である。このプログラムが始まると、まず目を閉じ、常に霊界から協助している先祖と家族を思い起こし、感謝する心で祈りをささげる。続いて、地上で共に生活している大切な家族に感謝する時間をもつ。この時、家族が共に礼拝に参加していれば、愛の心をもって温かくお互いを抱いてあげる。
もちろん、礼拝の核心は説教である。彼は、説教の時間に、決して複雑で理論的な教理に言及しない。真理のみ言を土台に置くが、実生活において、彼が直接経験し、実践しながら悟った内容を伝える。
麻浦教会では、「天一国食口礼拝」を通して、多くの信徒が感動を受け、変化した。聖日礼拝は、1部から4部へと拡大するなど、短期間で急成長した。
文牧師が、この礼拝を通じて推進しようとしたことは、教会の更新である。彼は、教会の牧会領域全般にわたり、新しい文化運動を展開しようしているのである。
文牧師が、麻浦教会での4か月間の牧会を終え、12月1日、彼が本部教会に移ったことには特別な意味がある。もちろん、彼が、家庭連合の第二世代の指導者として、新しいリーダーシップを見せてくれるものと、周囲では見ている。
純粋な情熱、謙遜の感動
統一街での文亨進牧師に対する信頼は格別だ。それは、純粋な情熱と、彼が信徒たちに向き合う姿勢のためである。彼は、常に低姿勢で信徒たちと向き合い、これまで教会の発展のために苦労してきた先輩たちに対する感謝を忘れないでいる。
彼は、常に謙遜な姿勢で信徒たちに近づいていく。彼が信徒たちに印象づけた代表的な謙譲の事例は、「洗足式」である。2006年2月、5000人以上の信徒が集まった講演会において、「み言を多く語ることより、実践が重要である」としながら、壇上から下りてきて、草創期の元老信徒一人とアフリカ出身の黒人信徒の足を直接洗ってあげた後、しばらく抱擁しながら、それまで苦労してきたことに対する感謝を表明した。そして、再び壇上に上がり、涙声で、「白人であれ、黒人であれ、毎日を一生懸命に生活しているすべての方々、真の父母様の心情の中で一つになりましょう」と、力を込めて講演した。たびたび涙を流しながら説教する彼に対して、信徒たちの間では、純粋な深い感動を呼び起こすという共感帯が形成されている。
文鮮明総裁は、公的な仕事にかかりきりになっていたため、子女たちの面倒を見る時間がほとんどなかった。そのため、父母の近くには常に信徒たちがいて、場所を占めるようになり、幼い子女たちにとっては、彼らに父母を奪われたという恨みをもち得る状況であった。
しかし、文牧師は、成長するとともに、次第に父母の思いを読み取るようになり、信徒たちの苦労が目に映り始めた。また、文総裁の教えを、父母と子女という関係ではなく、信徒と同じように、弟子の立場から見るようになるに従い、相当な変化が訪れるようになった。
文牧師は、毎月、1週間にわたって日本の教会を訪問してきた。苦労している日本教会の信徒たちを慰労し、励ましてあげるためである。日本教会の中の相当数は、宿泊施設が備わっていなかったため、客を迎え入れることが難しかった。それで、過去数か月間、40以上の教会を訪問する中で、ある教会では、シャワー施設がないため、水に浸したタオルで体をふき、またある教会では、事務室の床で寝袋生活をしながら、現地の信徒たちと親しい出会いの場をもってきた。もちろん、朝食や昼食をハンバーガーで済ますこともたびたびあった。
文牧師は、「自分は、兄弟の中で一番勉強ができなかった」と、何の気兼ねなく話す。たびたび笑い話で、「お兄さんやお姉さんたちが、とうきび畑(成績表で一番高い点数である「秀」)を育てている時、自分は、とうもろこし畑(成績表で一番低い点数である「可」)を育てていた」と言って、周囲の人々に話したりする。
幼い時期、勉強に関心がなく、良い成績表をもってくる模範的な学生ではなかったが、周囲の子供たちの父母からは、称賛を受ける子供であった。同年輩や年下の子供たちと遊ぶ時は、常に彼らを守り、面倒を見てあげたという。そして、普通、自分よりも年上の子供たちとよく遊んだりしながら子供時代を過ごした彼は、Aの単位をもらって一流大学に通う兄たちを見習い、再び勉強に専念し、アメリカの名門、ハーバード大学に入学するようになる。特に彼が、2006年5月、ハーバード神学大学院を卒業する時は、統一教会を代表して卒業生演説と祝祷をするほど、模範的な学校生活を送った。
東洋思想への心酔、世界の宗教指導者との交流
文亨進牧師は、大学時代から東洋思想に心酔した。現在、彼は、外見的には20代の普通の青年と変わらない容貌をしているが、2000年から7年以上にわたり、剃髪し、僧侶が着る改良韓国服を着て過ごした。この期間、午前2時30分になると起床し、祈祷と瞑想をしながら、深い内面の世界を探求した。
「ここ数年の間、洗練された洋服と格好いいヘアースタイルではなく、きれいにそりあげた頭に、アジアの伝統法衣を着ている私の変化した姿を、多くの人が見てきたはずである。しかし、大部分の人たちは、なぜそのような変化が起きたのかに対しては分からない。ただ、『彼に何があったのだろうか。突然僧侶になった』とか、「邪魔をしないようにしよう。武術がとても好きなだけだ。ただの何かの変化だろう』と言っているだけだ。」(文亨進著「はげ頭とイチゴ」から引用)
彼が剃髪し、長い灰色の外套を着て、参禅と瞑想に精進する姿は、少し見ると、父親とは異なる道を歩んでいるように見えた。それで、文総裁に従っている一部の教会指導者は、彼の宗教的修行法に対して憂慮を表したりもした。もちろん、文牧師も、自らのこのような修行に対して、父親である文総裁の厳しい叱責まで覚悟したという。
しかし、文総裁は、深い愛と理解で彼を抱いてくれた。そして、文総裁は、「勉強を続けなさい。世界のすべての宗教を勉強しなさい。おまえがすべての宗教を理解し、抱くことができれば、神様が最も愛する人になることができる」と言って、激励を惜しまなかった。
彼は、「率直に言うと、99.999%の信徒たち、甚だしくは、父と非常に‘近い’信徒たちも、このような勉強に熱中し、僧侶のようになっている私の姿を見て、父が激しく叱責しただろうと信じていた」と話しながら、しかし、「父は、私が宗教に強い関心を見せていることを喜ばれ、今日まで、『宗教に対する勉強を怠ってはいけない』と常に語っていらっしゃる」と回顧した。そのようにして、他宗教に対する理解を深めるようになり、父親に対する信頼も高まっていった。
「私は、父が与えてくれた自由、遠大な自由を発見した。しかし、一方では、多くの人が根本主義者的な理念に深くとらわれているということに対して、悲しみを感じた。しかし、少なくとも、私が真の道を発見したことを認め、対話の途中で深い宇宙的愛を送ってくれた一人のお方、父と出会うようになった。ある一つの宗教を勉強するにおいて、宗教指導者の理念的発達過程を見ることは、どれほど決定的なことか。大部分の人々は、父が、原理や草創期の時代のみ言を超えて生きていらっしゃり、発展し続ける神様のみ旨を体現していらっしゃることを忘れている」。
文牧師は、このような父親の深い配慮と愛に強い感銘を受け、この時から文総裁を、肉身の父としてだけではなく、真の霊的師として告白するようになる。以後、彼は、父親の意向に従い、ハーバード大学で哲学を勉強し、続いて同神学大学院で世界宗教学を専攻した。
特に、アメリカのコネチカット州にあるカトリック系ペイフィールド大学に通ったことを契機として、神父たちと自然に親しくなり、ハーバード大大学院に通う時は、韓国から留学してきたイルミ僧侶をはじめとして、世界各国から留学してきた多くの宗教界の人士たちとも交流することができた。彼は、ハーバード神学大学院で世界宗教学を勉強したことを契機として、世界各国の聖地を巡礼し、2005年12月末には、チベット仏教の精神的指導者であるダライ・ラマと親しく接見したりもした。彼のこのような歩みは、世界平和統一家庭連合が追求する超宗教・超教派運動と無関係ではない。
また、文総裁は、彼に二つの大切な教えを与えてくれたと告白する。彼がハーバードの大学院を終え、講義するために、京畿道加平の清心神学大学院に行くようになった時、文総裁は、「教会の信徒たちの前に立つ時は、常に自分は不足であるということを知らなければならない」と要請したという。
自らが完璧でないことを認め、より一層成長するために努力しなさいというこのみ言が、まさに最初の教えである。二番目に、彼は、今後どのような道を行くべきかに対する悩みを父親に尋ねてみたことがあるという。彼の質問に対して、文総裁は、「継続して精誠を積みなさい」と要請した。これは、霊的な修行の道、霊的な指導者としての道を歩む中で、何よりも神様との関係を失ってはいけないという教えであり、何よりも、自らを顧みて、驕慢な心、高い地位に対する欲よりも、神様が祝福してくださった「本然の自我」を失ってはいけないという教えである。彼は、父親の貴い教えを常に思い起こしながら、早朝精誠を積んでいる。
葛藤と修行
父母に対する感謝
世界的宗教指導者である文鮮明総裁は、どのように子女教育をするのだろうか。文総裁の子女はどのように成長するのだろうか。文総裁が有名であるのに比例して、世間の関心は、子女たちにも傾く。
文総裁は、公式的な集会を主管すること以外にも、早朝から寝床につく時まで、常に信徒たちを指導している。そのため、子供たちと共に過ごす時間は極めて少ない。それゆえに、子供たちの目には、父母の愛が慕わしくならざるを得ない。文亨進牧師は、次のように回顧する。
「私の父ではあったが、普通の人が自分の父親に対して感じる、そのような情を一度も感じたことがなかった。私たちは、1年を通して、1週間ないし2週間の間だけ父母を見ることができたのであり、それも、朝の時間に少しあいさつするのがせいぜいのところだった」。
それで、父母に対する細やかな愛をもつことができる機会も少なかった。結局、不満が高まる可能性もあったのである。彼は、「私は、子供のころは、常に父母を真摯に尊敬することができなかった。実際、思春期の時期、『神性な子供』シンドロームで苦労した」と告白した。
彼は、1979年9月26日、ニューヨークのウェストチェスターで、文総裁の七番目の息子であり、十一番目の子女として生まれた。彼は、その時から、信徒たちの「関心の的」になった。そのため、思いどおりに遊びまわることもできず、常に不自由な生活の中に閉じ込められるようになった。
「私たちは、常に『食口』たちに囲まれていた。朝、眠りから覚め、水を飲みに台所に下りていこうとすると、廊下で、生まれて初めて見る見知らぬ人がカメラを突きつけ、やたらに私を撮っているではないか! 私はこの『侵入者たち』を攻撃したかったが、顔をしかめながらも、彼らを満足させてあげなければならなかった。『あなたがたは誰なのか? 私は、誰もここに招いた覚えはないが。誰にも、このように図々しく近寄ってきて、自分たちの目の喜びのために写真を撮るように許した覚えはないというのだ』。私は、心の中で、このように叫んだりした。『私たちに、息をつく場所をくれというのだ』」(「はげ頭とイチゴ」の中から)。
文亨進牧師に人生の転換期をもたらした事件は、l999年、常に共に過ごしながら、互いに孤独を慰めあった兄(榮進)の突然の死であった。榮進氏は、「大部分、同じ部屋で共に生活し、共にドリトーチップを食べながら、同じテレビゲームをした」という兄である。また、「榮進兄さんの死は、私の人生において、衝撃的な事件だった。私は、兄の死から、骨身に染みる教訓を得たのであり、今も、彼が話した言葉が、私の心の中で共鳴し、響いている。それが、私を懺悔と苦行、そして、修行の道に追い立てた」と話す。
「榮進兄さんは、常に優しかった。父母様が語られるすべてのことに、いつも素直に従い、学校の勉強はもちろん、すべてのことに成果を得ていた。それに比べ、私は怠け者だった。落第し、学校を退学になった者だった。『敗北者』と呼ばれたこともあり、「門番」と冷やかされた者がまさに私だったのだ。もし神様がいらっしゃるのなら、なぜ私ではなく、彼を連れていかれたのか?! 私が逝くべきだったのに! まさに私であるべきだったのに、私であるべきだったのに‥‥。私はつぶやきながら、いつの間にか眠りに陥っていた。」(「はげ頭とイチゴ」の中から)。
そして、2人の兄弟は、たびたび宗教や父に対する見解をめぐって論争を繰り広げた。そのたびに、兄は弟を導いていった。「偽善者が一番悪いのだ! 偽善の仮面を脱げ。父母様にもっとよく侍らなければならない。孝子になるべきだろう。もっとしっかりしろ。お父様に、『変わってくれ』と要求することはできない。お父様は、すでに80歳を超えていらっしゃるのだ! それは全く現実的ではない。おまえが変わるのがもっと可能なことなのだ」。
もちろん、兄のこのような言葉に反発もしたが、今も、その言葉が耳元でぐるぐる回っており、「私が偽善の姿を見せる時、私自身をより正直な位置に戻してくれたりする」と話す。
結局、彼は、愛する人の死がもたらした深い喪失感と絶望感、そして、どうすることもできない傷を通して、新たな内的な誓いをし、より一層宗教と信仰に没頭するようになる。
そして、人生を揺るがすこのような経験を通して、「統一教会員」という自負心をもつようになり、文総裁に対しても、「多くのことを成就された尊敬する父」としてだけではなく、「霊的な師であり、案内者」として近づいていった。特に、禅仏教の師が伝えてくれた、自分を死に追いやる怨讐(ねずみ)にも、イチゴを分け与えてあげなければならないという寓話「イチゴの話」を通して、真の愛の教えに対する父親の洞察を確認するとともに、文総裁の偉大性を受け入れるようになったと告白する。
統一グループの未来を見る
文亨進牧師の就任により、世界平和統一家庭連合は、新しい変化の時期を迎えている。二世たちの前面配置がもつ意味も大きいが、今後、彼らから新しい躍動的姿を見ることができるものと期待されるからだ。
文牧師は若いが、先輩や後輩たちからの尊敬を一身に受けている。それは、誰にも見られない情熱と実力、実績をもっているだけでなく、謙遜で、すべてに率先垂範する姿勢のためである。
彼は、元老信徒たちだけが行うものと見なされている早朝祈祷を長い間積み重ねてきた。また、6か国語を駆使するなど、外国語の実力も備えている。彼は、今後、12か国語に精通できるよう外国語の勉強をしており、それを通して、直接、世界の信徒たちと対話し、また、世界の宗教指導者たちと対話しながら、交流を通して超宗教活動をすることを表明している。
文牧師は、過去数年にわたって修めてきた精誠のノウハウを、アメリカ、ニューヨークのUTS(統一神学大学院)において「天和堂修練」という名前で、また韓国では、清心神学大学院において「天一国の民」修練という名前で、信徒たちに伝授している。彼が体得した瞑想修行を信仰生活に接ぎ木させ、「真の人」に生まれ変わらせる修練である。
彼は、2006年5月、大学院を卒業し、父親である文総裁に呼ばれて韓国に移住した後、12月1日、青坡教会牧師として正式就任するまで、非公式的に、これまで自分が修め、積みあげてきたすべての内容を、直接現場を回りながら実践している。
去る7月29日、麻浦教会において、70数人の信徒を前にして最初の礼拝を始めたが、17週が過ぎるとともに、1部礼拝は4部礼拝へと拡大し、礼拝の参席人員は、平均600人以上に達するようになった。このように短い期間に急成長したのは、文牧師が、信徒たちの家庭訪問と個別接触を通して、それまでかたくなになっていた心を解いてあげ、真の心で信仰指導をしたためであると見られている。
そして、言語の障壁ゆえに思いどおりに信仰生活ができなかったフィリピンの婦人たちをはじめとする外国人信徒のために、特別プログラムをつくって教育し、土曜日の午後には、英語礼拝を執り行った。
また、アメリカで生まれ育ったため、韓国語が上手ではないが、まさにそのような理由で、彼が苦労して探し出したやさしい韓国語で進める説教は、純粋で、真実性がこもっているという評価を聞く。彼は、牧会者として、確固たる哲学をもっている。
「伝統的な牧会には、罪を悔い改めようという内容が多い。私は、それよりは、罪人意識から抜け出し、生活の中で幸福と平和を追求しようというメッセージを伝えたい。私たちは、皆神様のVIPであるという考えで、勝利、悟り、平和の精神を伝える牧会活動を展開しようと思っている。」
世界平和統一家庭連合は、プロテスタント的伝統が強いが、彼は、今後、東洋的瞑想などを積極的に導入することを明らかにした。
宗教は、大部分、排他的である。しかし、文牧師は、世界平和統一家庭連合の創始者を父母にもつが、仏教、儒教、道教などの東洋宗教と哲学を勉強するなど、他宗教にまで視野を広げ、それらの宗教を通して、「初めて真の統一教会員になった」と告白している。彼は、文総裁が生涯を通して心血を注ぎ、展開してきた宗教連合運動を受け継ぎ、超宗教・超教派的な宗教指導者として成長するものと期待されている。彼もまた、「今後、超宗教的な活動を通して、宗教の葛藤と闘争を終わらせ、世界平和を模索する仕事をしたい」と話している。
1954年、世界平和統一家庭連合の創設以後、これまで文総裁が追求してきた宗教連合と信仰革新運動などの各種懸案の解決が、文牧師を通して、より可視化されているわけである。今、世界平和統一家庭連合が、二世たちを通して一段階アップグレードされ、新しい希望を見せてくれているという点で、各界から肯定的な評価を受けている。
ID:6vqp6h
また次もよんであげようと思ったら
にほんブログ村 クリックして下さい。