Nobuo Mizutani氏が猪瀬個団会長に宛てた手紙

すべて印刷
新しいウィンドウで開く

Nobuo Mizutani氏が猪瀬個団会長に宛てた手紙

受信トレイ
x

Nobuo Mizutani

1月23日 (1 日前)

東大阪教会、竹内良光様、
栄光在天
新しい年を迎えて、3週間が経とうとしています。みなさん、おげんきですか?
NYは、気温ー5度Cでさむいのですが、今年は雪が降らないので、あんまり冬の実感がわきません。
私は先週に、猪瀬個団会長(1800双、在米日本人代表の値)に手紙を書きました。読んで見てよかったら伝道に使ってください。2/13の祝福に向けて頑張りましょう。
水谷信雄  1/22/16
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
猪瀬洋様、初根様。 New year card ありがとうございました。
先日(1/10/16)はUTSに於いて、”True Mother and Embodying the Divine Feminine”と題し、1時間半に渡ってDr. Wilsonによる講演がありました。その後質疑応答があり、 私は前に立って質問をしている途中で止めさせられてしまいました ので、私が質問したかった内容を下記にしたためました.  ご確認いただければ幸いです。
Q1: What is the most painful matter for True Mother? Is it concerning with her children or concerning with her husband?
Dr.Wilsonは、 お母様が最も辛かったことは子供と一緒にいてあげれなかったこと だと強調されましたが、私は夫(Rev. Moon)故であると思います。お父様は、 メシアであり再臨主であり万王の王として最も歴史的に困難で複雑な 縦的蕩減条件を立てて横的に蕩減復帰しなければなりませんでした 。例えば、 ソロモン王は700人の妻と300人の妾を持っていたと聖書に書 いてありますが、そのような内容も含まれているはずです。
お父様は1960年にお母様と御聖婚されるときに、 明確に6マリアについて説明され、 お母様はそれを承諾されて真父母の路程を2人で出発されたそうで す。6マリヤという方達は1998年、 マジソンスクエアーガーデンで4大聖人そしてアウグスチヌス、 ソクラテスと祝福された方達です。 それぞれが歴史的役割を持たれて、 お父様と共に縦的蕩減条件を立ててこられた方達だと思います。
お父様は、自叙伝”平和を愛する世界人として” は御自身の生涯の80%であると言及されています。 ただ仏陀と祝福された崔元福先生については、 復帰されたエバの立場であり、お母様との間ではレア(妾) とラケル(本妻)の立場であることを伺っているだけで、 このような残りの20%の秘密は明らかにされませんでした。
2001年、お父様は全米50州講演を慣行されました。 私はユタ州ソルトレイク市に動員で17日間滞在しました。 3月10日の講演が終わった翌朝5時にお父様が泊まられたホテル に集合して、御言を拝聴いたしました。お父様は、 モルモン教はジョセフ、 スミスを中心としているが神様を中心としなければならないし、 皆さんは知らないと思うが彼はたくさんの女性関係があって、 12人の女性の中で一番良い女性を妻としたかったが、 本妻が殺し屋を雇い悲劇の死に至ったと語られました。 そしてヤコブも4人の妻がいたように、 歴史上の中心人物は誰にも理解できない神様との秘密があると言わ れました。
20年前の1996年、私がUTSの学生であった時、”Life and Thought Sun Myung Moon” のクラスを担当されていた呉滝龍先生のアシスタントをしていまし たので、武田吉郎さん著の聖地定州、受難の源流、 愛の奇跡などの日本の資料を彼のオフイスに持参しました。 彼は韓国に於いて、 お父様はたくさんの女性関係の故にメシアとして失敗されたとも噂 されていると、私が仰天するような事を語ってくれました。また、 そのオフイスには韓国語の講師である崔文淑先生( 2世36家庭で36家庭崔昌林先生の長女)もおられて、 お父様の種は36家庭の夫人にも入っていますと言われました。 これは、”私は最も聖なるものを好む人でありながら、 最も汚いことをしなければならなかった。”という、 お父様の御言を解釈したものです。
これらは、 お父様がメシアとして縺れた歴史を解かなければならなかった、 ほんの一部ではありますが、語れなかった秘密の一端であります。 お父様は”いったん私が蕩減の内容を語れば、 それを聞いた皆さんはその道を行かなければなりません” と語られています。 だからお父様が死ぬまでこのことを語らず秘密にされていたのでし ょう。 まさしく親は苦労の道を歩んだとしても子供にまで苦労させたくな いという、お父様の私達に対する深淵にして偉大な愛であり、 その愛ゆえに語られなかったのでしょう。
そして、 お母様は再臨主の妻として誰にも打ち明けることができない困難で 苦痛のともなう路程をたどってこられた事は確かであり、 それを絶対的信仰、絶対的愛、 絶対的従順で勝利されてこられた真のお母様は偉大です。
お父様はこのような天のみが記憶される秘密である縦的蕩減を支払 われて完成完結完了を宣布され、 蕩減時代を終了させてくださいました。お父様は、 たとえ100歳以上生きられても、 この内容は語らず秘密にされていたかもわかりませんし、 もし確固たる天一国の基盤ができたならば、 全ての秘密を明らかにされたのかもわかりません。とにかく、 このお父様の深淵にして偉大な愛の秘密の勝利基台の上で、 祝福を賜った私達は原理本体論の中心である”絶対性”を高らかに掲げて、 神氏族メシヤと天一国の建設の為に前進すべきではないでしょうか 。
Q2, Does the only begotten daughter include the contradiction?
Dr.Wilsonは独生女をお母様だけに言及しましたが、 私はそう思いません。第1アダムが独生子であり、 第2アダムが独生子としてのイエス様であり、 第3アダム再臨主が独生子としてのお父様であります。 第1アダムの相対者エバが独生女であったわけですから、 もしイエス様の相対者がいたなら独生女となりますし、 再臨主の相対者は当然独生女と言えましょう。
1945年、お父様はキリスト教基盤の上で、 崔先吉女史と御聖婚されました。この時、 韓国のキリスト教と国が再臨主を受け入れていれば、 7年間で天国実現は可能でした。しかし、 再臨主を迎えるために神様が準備されたキリスト教基盤であったイ スラエル修道院や腹中教の中心者が、 お父様を再臨主として受け入れる事に失敗した故に、 この基盤は失われてしまいました。
ですから、 崔先吉女史は神様が最初に準備された独生女と言えましょう。
1954年、日韓国交閉鎖時に、 お父様は妊娠されていた金明姫女史を日本に宣教師として遣わせら れました。翌年に東京で喜進様をご出産されますが、 その後3年間牢獄で過ごされれている時に、悲劇に襲われました。 女史の実兄で36家庭の金相均先生は” 妹は真の母になるはずであったが、そのような事が起こり、 自身からその位置を退いたんだ”と語ってくださいました。
ですから、 金明姫女史は神様が2番目に準備された独生女と言えましょう。
1960年3月16日(旧暦) にお父様とお母様が御聖婚されました。
ですから、 お母様は神様が3番目に準備された独生女と言えましょう。
しかしながら、独生女に関して私が最も心を痛めている事柄は、 昨年お母様が何回も”2000年のキリスト教は、 独生女を迎える為の摂理であった。 韓半島は再臨メシアの独り娘を誕生させる為にあった。 その独生女が私です。あなた方は、 此れを信じなければなりません。”と強調されたことです。 そのような事柄は、聖書にも記されていませんし、 原理講論にも書いてありません。 韓国の歴史書にも預言書にも独生女は出てきません。 このままでは、キリスト教徒復帰は困難に陥り、キリスト教牧師、聖職者の教育はさらに難しく、 韓国の国家復帰は遠のいていくばかりになります。
私は、このことを受け入れて信じていくならば、 FFWPUは独生女を崇拝する集団(カルト)に成り下がってしまうのではないかと心配しています。
そうならないために、私はお父様の遺言のとおり、 8大教本に従って生きていくつもりです。またお父様は、 私の代身者、相続者は文亨進様であり、彼に反する者は異端者、 爆破者であるという御言に従って生きていくつもりです。
皆様もお父様の御言に従って生きていってくださるように心からお 願い申し上げます。
水谷信雄  1/12/16

ID:75q8rk

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

土曜礼拝

万有原力の大きさが以下の参考例から解ります。

標準的な台風の持つ運動エネルギー:2777.78億kWh
2010年度電力需要実績:9065億kWh
1秒あたりの太陽エネルギー:27.78億kWh
関東大震災のエネルギー:124.08億kWh
原爆のエネルギー:0.17億kWh
スーパー伊勢湾台風による高潮災害:22.42億kWh

全宇宙を創造され、今も拡大し続ける宇宙

天使長・家庭連合の政治家達は、

新しい宗教、生まれる前より原罪無き女性による

新宗教を作り上げた、

神につながらない宗教?

神によって作られた、鰯(いわし)の頭を、

拝んだ方が御利益があるでしょう。

第二節 万有原力と授受作用および四位基台
(二) 授 受 作 用
 あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、
 万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、
 ここにおいて、その存在のためのすべての力、
 すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。
 このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という。
 ゆえに、万有原力と授受作用の力とは、
 各々原因的なものと結果的なもの、
 内的なものと外的なもの、
 主体的なものと対象的なものという、相対的な関係をもっている。
 したがって、万有原力は縦的な力であり、
 授受作用の力は横的な力であるともいえるのである。
 我々は、ここにおいて、万有原力と授受作用を中心として、
 神と被造物に関することを、更に具体的に調べてみることにしよう。
 神はそれ自体の内に永存する二性性相をもっておられるので、
 これらが万有原力により相対基準を造成して、
 永遠の授受作用をするようになるのである。
 この授受作用の力により、
 その二性性相は永遠の相対基台を造成し、
 神の永遠なる存在基台をつくることによって、
 神は永存し、また、
 被造世界を創造なさるためのすべての力を発揮するようになるのである。
 
ID:75q8rk

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

木曜礼拝・イスラエル民族を通した血統転換

★二世は一世になります。深刻です。二世たちに聖酒を飲ませてください。★

基元節の聖酒を飲んだ祝福家庭と祝福子女が権限圏祝福を受けなければ祝福家庭でも祝福子女でもなくなるという深刻な問題があります。
特に二世は深刻です。
何故なら一世は一世に戻る道がありますが、
二世が二世に戻る道はないからです。

どのサンクチュアリでもいいので、真のお父様に戻る祝福を受けてください!家族が反対していても聖酒を飲んでください。時間がありません!!全国に聖酒を送ります。電話で戻る祝福を致します。

上記のように、日本各地にありますサンクチュアリ教会に連絡を取ってください。
よろしくお願いいたします。

祝福家庭と理想天国(1)

祝福と理想家庭

第三章 祝福の意義と価値

第二節 新生と祝福の起源

1.イスラエル民族を通した血統転換

 それでイエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。
だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言われたのです。
このような血統的内容を抱いて生まれたので、イエス様は、歴史上初めて神様の前に愛を受けるひとり子となることができたのです。
このような事実は、今まで誰も知らなかったのです。

 それで、今までさまざまな宗教があっても、すべて奴隷の宗教であり、養子の宗教圏に立たざるを得ませんでした。(48)

 新約聖書のマタイによる福音書は、旧約の創世記に代わる福音書です。それで太初に起こった人間の堕落が創世記に記録されており、その復帰路程がマタイによる福音書に記録されているのです。

 マタイによる福音書には、アブラハムからイエス様までの継代歴史が出ています。
「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図…」と、第一章第一節から出ています。
三節を見ると「ユダはタマルによるパレスとザラとの父」と記録されていますが、どうして、ちょっと見ただけでは不倫な女性に見えるタマルを、最初の部分に記録したのでしょうか。
また、「ボアズはルツによるオベデの父」と記録されており、「ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父」と記録されています。

 その次の一六節に「マリヤからキリストといわれるイエスがお生まれになった」となっています。
ところで、どうして人倫道徳から見ても不敬で受け入れ難い事実を、マタイによる福音書に記録したのでしょうか。
私は、マタイ福音書の記者であるマタイは、イエス誕生の背後を知っていたと思います。
しかし、考えてみただけでも気持ちの悪くなる事件まで、なぜ聖書の歴史として記録しておいたのでしょうか。
皆さんはこれを知らなければなりません。
これらの事件でなくても、聖書には一般の人々の理解できない悲運の歴史が数多く入っていますが、私たちはこれを究明して、キリスト教の伝統を確実に立てておかなければなりません。
そうしなければ、全世界のキリスト教はちりぢりばらばらに分かれて、サタンの祭物として消え去ってしまうということを、皆さんは知らなければなりません。

六マリヤの事を、韓国教会では不貞の事として黙殺し、日本の教会では六マリヤの話はでっちあげで、

反対派に乗せられて書いた朴正華著『六マリアの悲劇』

統一教会に対する。“血分け”の中傷は、1950年代半ばから絶えず行われてきました。しかし実際は、卓明煥氏が告白したように、「明確な証拠は何もなかった」のです。おそらく、反対派の人々は、このような状況にしびれを切らしていたに違いありません。

と、主張している。

お父様は、以下のように仰り血統転換にまつわる話をされています。

 イエス・キリストは、このような蕩減歴史を経てマリヤという女性を通して誕生しました。
マリヤは歴史的な恨みを解くことのできる国家的中心の女性として召され、神様のみ旨のために生死を顧みなかった信仰によってイエス・キリストを懐妊することができたということを知らなければなりません。

 そのようにして、四千年のユダヤ民族史、ユダヤ教の歴史を経て、神様は何を取り戻されたのかというと、堕落する前の血統、汚れなかった息子、すなわちアダムを復帰したのです。
それで、コリント前書一五章四五節でイエス様を「後のアダム」であると言ったのです。
この「後のアダム」とは、神様の救援摂理歴史が復帰摂理歴史であり再創造歴史であるために、神様が四千年の間苦労されながら、人間たちの理解できない復帰の道を開拓してこられ、初めて神様の愛を受けることのできる息子の立場を復帰した「ひとり子イエス」であるという意味です。(49)

以上のような事柄を知り、血統を守り二世の行く道をさえぎるな!

きのう、家庭連合の皆さん一人一人にお電話しました。

不快に思われた方もいました。お許しください。

どうぞ今一度、よく考えて下さい。

お願い致します。

 

ID:75q8rk

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

二世が一世になるということがどれだけ悲惨なこと!!

二世が一世になるということがどれだけ悲惨なことであるかを、
以下のみ言葉より悟ってください。
血統転換の重要性を語ってくださっています。
《戻る祝福式の重要性》これを2016年2月13日までに受けなければ1世も2世も深刻な内容があります。
どのサンクチュアリでもいいので、真のお父様に戻る祝福を受けてください!家族が反対していても聖酒を飲んでください。時間がありません!!全国に聖酒を送ります。電話で戻る祝福を致します。

祝福家庭と理想天国(1)
祝福と理想家庭
第三章 祝福の意義と価値
第二節 新生と祝福の起源
1、イスラエル民族を通した血統転換
 歴史は闘いから始まります。・・・・・・・・・・。
 タマルについて研究すれば、原理のすべてを知ることができます。タマルは、舅と関係して息子を産みました。ところで、舅と関係して生まれた子供がどうしてイスラエルの血統を受け継ぐことができたのでしょうか。この世で、そんなことがあり得ますか。

 ソロモンの母は誰ですか。彼の母バテシバはウリヤの妻でした。ダビデ王がウリヤの妻を奪ったのです。ウリヤの妻は、言うならば妾でした。

 ここでダビデはアダムの立場であり、ウリヤは天使長の立場です。そして天使長の妻は、復帰しなければならないエバの立場になります。天使長がアダムの相対者であるエバを堕落させ、引きずっていきました。愛で占領して盗んでいきました。それを蕩減するには、そのような三角関係に立ってもと返さなければなりません。そのような原理的基準に立脚した条件を立てた基台の上で生まれた子供は、天の栄光の子供として生まれるのです。ソロモンは栄光の子供です。

 タマルは自分の舅と関係しました。ところで舅との関係における精神は立派なものでした。当時の法によれば、淫行を行った女性は、石で打ち殺すことになっていました。

 タマルは、最初の夫と二番目の夫とを失いましたが、血統を守らなければならないと考えました。そのため、体面や威信は問題ではありませんでした。神様の願われる血統を、どうすれば残せるだろうかということだけが問題でした。

 血統を愛したので、血統を復帰しなければならないという一念だけでした。神様の摂理圏に立ち帰る条件を立てるために、舅と関係をもつことができたのです。これを見れば、舅はすなわち、自分のお父さんなのです。

 腹中勝利を収めた基準は、ずっとイスラエルとユダヤ教の子孫に受け継がれ、発展していきます。なぜそれが、国家的基準に立たなければならないのでしょうか。それは、サタン世界に国家が建てられているからそうなのです。

 このような理由で、イスラエル選民圏が発展しながら内的、血統的勝利の基準が連結されてきたのです。体面や威信や社会的環境といったものはすべて忘れ、ただ神様のみ旨だけがすべてであるという代表的な心情をもった愛の娘がマリヤです。勝利を収めた基準を受け継いだ腹中では、サタンの讒訴できる内容がないというのです。その基盤の上で、マリヤを通してイエス様が懐妊されたのです。ですからイエス様は、歴史的な闘いを終わらせた勝利の神様の前に、生まれる資格、条件を完成させた基盤の上に生まれたのです。

 それでイエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言われたのです。このような血統的内容を抱いて生まれたので、イエス様は、歴史上初めて神様の前に愛を受けるひとり子となることができたのです。このような事実は、今まで誰も知らなかったのです。

 それで、今までさまざまな宗教があっても、すべて奴隷の宗教であり、養子の宗教圏に立たざるを得ませんでした。(48)

ID:6vqp6h
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ また次もよんであげようと思ったら

にほんブログ村  クリックして下さい。

超宗教平和世界の夢を植える

東京在住の2世より投稿がありました。

引用原稿です。

・証言 目次へ

超宗教平和世界の夢を植える
(韓国の雑誌“Headline News”(2008.1月号)で亨進様の特集記事)

青坡洞本部教会、文亨進牧師の人生と宗教活動

文亨進牧師

1979.9 アメリカ ニューヨークのウェストチェスターで出生
2003.5 米ハーバード大学 哲学科 卒業
2005.12 チベット指導者ダライ・ラマと接見
2006.5 米ハーバード神学大学院 卒業
2007.12 本部教会牧師 就任

青坡洞本部教会、文亨進牧師の人生と宗教活動

文亨進牧師

1979.9 アメリカ ニューヨークのウェストチェスターで出生
2003.5 米ハーバード大学 哲学科 卒業
2005.12 チベット指導者ダライ・ラマと接見
2006.5 米ハーバード神学大学院 卒業
2007.12 本部教会牧師 就任

 世界平和統一家庭連合、いわゆる統一街に穏やかな変化の風が吹いている。教団創立期以後活躍した一世たちのバトンを受け継ぎ、二世たちが、宣教と企業経営の現場において活発な歩みを見せているのである。もちろん、統一グループ内において、これまで相当な世代交代がなされてきたが、最近、二世たちの前面配置が断行されるとともに、草創期に劣らない活気が満ちあふれている。

 “生活の中で幸福と平和を追求しながら、勝利、悟り、平和の精神を伝える牧会活動を展開しようと思っている”

 世界平和統一家庭連合の創始者である文鮮明総裁の末の息子、文亨進牧師が、去る12月1日、ソウル青坡洞所在の本部教会の牧師に就任したのが、その代表的な例である。韓国の家庭連合の象徴である本部教会は、これまで文総裁が直接牧会を行ってきた由緒ある教会であり、歴代協会長が担任教会長を歴任してきた古い伝統をもっている。しかし、文亨進牧師が就任するとともに、宣教の一線に新しい風が吹いていることはもちろん、世代交代がより一層加速化するものと予測されている。

 文牧師は、アメリカ、ニューヨークのウェストチェスターで生まれ、ハーバード大学の哲学科を卒業し、ハーバード神学大学院で世界宗教学を専攻するなど、正統なエリートコースを歩みながら、宗教指導者として信望を受けてきたという点で、注目を浴びている。

成功した牧会テスト

 文亨進牧師は、去る7月から、ソウルの麻浦教会において、「天一国食口礼拝」という名のもと、初めての牧会経験を積んできた。伝統的な礼拝とは全く異なるこの礼拝は、大きく「歓迎の場」、「賛美と感謝の場」、「説教と誓いの場」に分けて進められる。特に、大部分説教を聞くことで終わる既存の礼拝形式とは異なり、牧会者と信徒たちが呼吸を合わせる躍動的形式を指向するという点で際立っている。

 「天一国食口礼拝」は、まず夫婦で牧会を行うのが特徴である。彼は、礼拝時間の30分前から、妻である李妍雅牧師と共に、礼拝に参席した信徒一人一人を温かい微笑みと愛の心で歓迎し、また礼拝が終わった後も、同じように、日常における意味ある幸福な生活を祈って見送る。また、彼は、礼拝プログラムのうち、第1章である「歓迎の場」を、夫人と共に進行する。

 この礼拝が旋風を巻き起こしたのは、△神様は、審判の神様でなく、愛の神様であられる。△神様の目から見れば、すべての信徒はVIPである。△毎日毎日の生活において、少しでもより多く勝利し、より多くのことを悟り、より平和に生きていこう。△神様に賛美と栄光をお返ししようなどの核心価値のためだ。

 また、この礼拝は、教会信徒と家族、そして霊界にいる先祖に精誠を尽くすために、「誠愛」のろうそくをともし、賛美の役事を強化している。
瞑想も、礼拝の特徴。二度の瞑想のうち、最初の瞑想は、礼拝をささげるために準備する時間であり、最後の瞑想は、説教後に、その日のメッセージを神様を中心として受け入れるための時間である。

 一方、一週間を過ごしながら困難なことに出遭った信徒のために、一対一で祈ってあげる時間をもち、また霊界と地上の家族を回想する時間をもつことも、伝統礼拝では見られない儀式である。このプログラムが始まると、まず目を閉じ、常に霊界から協助している先祖と家族を思い起こし、感謝する心で祈りをささげる。続いて、地上で共に生活している大切な家族に感謝する時間をもつ。この時、家族が共に礼拝に参加していれば、愛の心をもって温かくお互いを抱いてあげる。

 もちろん、礼拝の核心は説教である。彼は、説教の時間に、決して複雑で理論的な教理に言及しない。真理のみ言を土台に置くが、実生活において、彼が直接経験し、実践しながら悟った内容を伝える。

 麻浦教会では、「天一国食口礼拝」を通して、多くの信徒が感動を受け、変化した。聖日礼拝は、1部から4部へと拡大するなど、短期間で急成長した。
文牧師が、この礼拝を通じて推進しようとしたことは、教会の更新である。彼は、教会の牧会領域全般にわたり、新しい文化運動を展開しようしているのである。

 文牧師が、麻浦教会での4か月間の牧会を終え、12月1日、彼が本部教会に移ったことには特別な意味がある。もちろん、彼が、家庭連合の第二世代の指導者として、新しいリーダーシップを見せてくれるものと、周囲では見ている。

純粋な情熱、謙遜の感動

 統一街での文亨進牧師に対する信頼は格別だ。それは、純粋な情熱と、彼が信徒たちに向き合う姿勢のためである。彼は、常に低姿勢で信徒たちと向き合い、これまで教会の発展のために苦労してきた先輩たちに対する感謝を忘れないでいる。

 彼は、常に謙遜な姿勢で信徒たちに近づいていく。彼が信徒たちに印象づけた代表的な謙譲の事例は、「洗足式」である。2006年2月、5000人以上の信徒が集まった講演会において、「み言を多く語ることより、実践が重要である」としながら、壇上から下りてきて、草創期の元老信徒一人とアフリカ出身の黒人信徒の足を直接洗ってあげた後、しばらく抱擁しながら、それまで苦労してきたことに対する感謝を表明した。そして、再び壇上に上がり、涙声で、「白人であれ、黒人であれ、毎日を一生懸命に生活しているすべての方々、真の父母様の心情の中で一つになりましょう」と、力を込めて講演した。たびたび涙を流しながら説教する彼に対して、信徒たちの間では、純粋な深い感動を呼び起こすという共感帯が形成されている。

 文鮮明総裁は、公的な仕事にかかりきりになっていたため、子女たちの面倒を見る時間がほとんどなかった。そのため、父母の近くには常に信徒たちがいて、場所を占めるようになり、幼い子女たちにとっては、彼らに父母を奪われたという恨みをもち得る状況であった。

 しかし、文牧師は、成長するとともに、次第に父母の思いを読み取るようになり、信徒たちの苦労が目に映り始めた。また、文総裁の教えを、父母と子女という関係ではなく、信徒と同じように、弟子の立場から見るようになるに従い、相当な変化が訪れるようになった。

 文牧師は、毎月、1週間にわたって日本の教会を訪問してきた。苦労している日本教会の信徒たちを慰労し、励ましてあげるためである。日本教会の中の相当数は、宿泊施設が備わっていなかったため、客を迎え入れることが難しかった。それで、過去数か月間、40以上の教会を訪問する中で、ある教会では、シャワー施設がないため、水に浸したタオルで体をふき、またある教会では、事務室の床で寝袋生活をしながら、現地の信徒たちと親しい出会いの場をもってきた。もちろん、朝食や昼食をハンバーガーで済ますこともたびたびあった。

 文牧師は、「自分は、兄弟の中で一番勉強ができなかった」と、何の気兼ねなく話す。たびたび笑い話で、「お兄さんやお姉さんたちが、とうきび畑(成績表で一番高い点数である「秀」)を育てている時、自分は、とうもろこし畑(成績表で一番低い点数である「可」)を育てていた」と言って、周囲の人々に話したりする。

 幼い時期、勉強に関心がなく、良い成績表をもってくる模範的な学生ではなかったが、周囲の子供たちの父母からは、称賛を受ける子供であった。同年輩や年下の子供たちと遊ぶ時は、常に彼らを守り、面倒を見てあげたという。そして、普通、自分よりも年上の子供たちとよく遊んだりしながら子供時代を過ごした彼は、Aの単位をもらって一流大学に通う兄たちを見習い、再び勉強に専念し、アメリカの名門、ハーバード大学に入学するようになる。特に彼が、2006年5月、ハーバード神学大学院を卒業する時は、統一教会を代表して卒業生演説と祝祷をするほど、模範的な学校生活を送った。

東洋思想への心酔、世界の宗教指導者との交流

 文亨進牧師は、大学時代から東洋思想に心酔した。現在、彼は、外見的には20代の普通の青年と変わらない容貌をしているが、2000年から7年以上にわたり、剃髪し、僧侶が着る改良韓国服を着て過ごした。この期間、午前2時30分になると起床し、祈祷と瞑想をしながら、深い内面の世界を探求した。
「ここ数年の間、洗練された洋服と格好いいヘアースタイルではなく、きれいにそりあげた頭に、アジアの伝統法衣を着ている私の変化した姿を、多くの人が見てきたはずである。しかし、大部分の人たちは、なぜそのような変化が起きたのかに対しては分からない。ただ、『彼に何があったのだろうか。突然僧侶になった』とか、「邪魔をしないようにしよう。武術がとても好きなだけだ。ただの何かの変化だろう』と言っているだけだ。」(文亨進著「はげ頭とイチゴ」から引用)

 彼が剃髪し、長い灰色の外套を着て、参禅と瞑想に精進する姿は、少し見ると、父親とは異なる道を歩んでいるように見えた。それで、文総裁に従っている一部の教会指導者は、彼の宗教的修行法に対して憂慮を表したりもした。もちろん、文牧師も、自らのこのような修行に対して、父親である文総裁の厳しい叱責まで覚悟したという。

 しかし、文総裁は、深い愛と理解で彼を抱いてくれた。そして、文総裁は、「勉強を続けなさい。世界のすべての宗教を勉強しなさい。おまえがすべての宗教を理解し、抱くことができれば、神様が最も愛する人になることができる」と言って、激励を惜しまなかった。

 彼は、「率直に言うと、99.999%の信徒たち、甚だしくは、父と非常に‘近い’信徒たちも、このような勉強に熱中し、僧侶のようになっている私の姿を見て、父が激しく叱責しただろうと信じていた」と話しながら、しかし、「父は、私が宗教に強い関心を見せていることを喜ばれ、今日まで、『宗教に対する勉強を怠ってはいけない』と常に語っていらっしゃる」と回顧した。そのようにして、他宗教に対する理解を深めるようになり、父親に対する信頼も高まっていった。

 「私は、父が与えてくれた自由、遠大な自由を発見した。しかし、一方では、多くの人が根本主義者的な理念に深くとらわれているということに対して、悲しみを感じた。しかし、少なくとも、私が真の道を発見したことを認め、対話の途中で深い宇宙的愛を送ってくれた一人のお方、父と出会うようになった。ある一つの宗教を勉強するにおいて、宗教指導者の理念的発達過程を見ることは、どれほど決定的なことか。大部分の人々は、父が、原理や草創期の時代のみ言を超えて生きていらっしゃり、発展し続ける神様のみ旨を体現していらっしゃることを忘れている」。

 文牧師は、このような父親の深い配慮と愛に強い感銘を受け、この時から文総裁を、肉身の父としてだけではなく、真の霊的師として告白するようになる。以後、彼は、父親の意向に従い、ハーバード大学で哲学を勉強し、続いて同神学大学院で世界宗教学を専攻した。

 特に、アメリカのコネチカット州にあるカトリック系ペイフィールド大学に通ったことを契機として、神父たちと自然に親しくなり、ハーバード大大学院に通う時は、韓国から留学してきたイルミ僧侶をはじめとして、世界各国から留学してきた多くの宗教界の人士たちとも交流することができた。彼は、ハーバード神学大学院で世界宗教学を勉強したことを契機として、世界各国の聖地を巡礼し、2005年12月末には、チベット仏教の精神的指導者であるダライ・ラマと親しく接見したりもした。彼のこのような歩みは、世界平和統一家庭連合が追求する超宗教・超教派運動と無関係ではない。

 また、文総裁は、彼に二つの大切な教えを与えてくれたと告白する。彼がハーバードの大学院を終え、講義するために、京畿道加平の清心神学大学院に行くようになった時、文総裁は、「教会の信徒たちの前に立つ時は、常に自分は不足であるということを知らなければならない」と要請したという。

 自らが完璧でないことを認め、より一層成長するために努力しなさいというこのみ言が、まさに最初の教えである。二番目に、彼は、今後どのような道を行くべきかに対する悩みを父親に尋ねてみたことがあるという。彼の質問に対して、文総裁は、「継続して精誠を積みなさい」と要請した。これは、霊的な修行の道、霊的な指導者としての道を歩む中で、何よりも神様との関係を失ってはいけないという教えであり、何よりも、自らを顧みて、驕慢な心、高い地位に対する欲よりも、神様が祝福してくださった「本然の自我」を失ってはいけないという教えである。彼は、父親の貴い教えを常に思い起こしながら、早朝精誠を積んでいる。

葛藤と修行
父母に対する感謝

 世界的宗教指導者である文鮮明総裁は、どのように子女教育をするのだろうか。文総裁の子女はどのように成長するのだろうか。文総裁が有名であるのに比例して、世間の関心は、子女たちにも傾く。

 文総裁は、公式的な集会を主管すること以外にも、早朝から寝床につく時まで、常に信徒たちを指導している。そのため、子供たちと共に過ごす時間は極めて少ない。それゆえに、子供たちの目には、父母の愛が慕わしくならざるを得ない。文亨進牧師は、次のように回顧する。

 「私の父ではあったが、普通の人が自分の父親に対して感じる、そのような情を一度も感じたことがなかった。私たちは、1年を通して、1週間ないし2週間の間だけ父母を見ることができたのであり、それも、朝の時間に少しあいさつするのがせいぜいのところだった」。

 それで、父母に対する細やかな愛をもつことができる機会も少なかった。結局、不満が高まる可能性もあったのである。彼は、「私は、子供のころは、常に父母を真摯に尊敬することができなかった。実際、思春期の時期、『神性な子供』シンドロームで苦労した」と告白した。

 彼は、1979年9月26日、ニューヨークのウェストチェスターで、文総裁の七番目の息子であり、十一番目の子女として生まれた。彼は、その時から、信徒たちの「関心の的」になった。そのため、思いどおりに遊びまわることもできず、常に不自由な生活の中に閉じ込められるようになった。

 「私たちは、常に『食口』たちに囲まれていた。朝、眠りから覚め、水を飲みに台所に下りていこうとすると、廊下で、生まれて初めて見る見知らぬ人がカメラを突きつけ、やたらに私を撮っているではないか! 私はこの『侵入者たち』を攻撃したかったが、顔をしかめながらも、彼らを満足させてあげなければならなかった。『あなたがたは誰なのか? 私は、誰もここに招いた覚えはないが。誰にも、このように図々しく近寄ってきて、自分たちの目の喜びのために写真を撮るように許した覚えはないというのだ』。私は、心の中で、このように叫んだりした。『私たちに、息をつく場所をくれというのだ』」(「はげ頭とイチゴ」の中から)。

 文亨進牧師に人生の転換期をもたらした事件は、l999年、常に共に過ごしながら、互いに孤独を慰めあった兄(榮進)の突然の死であった。榮進氏は、「大部分、同じ部屋で共に生活し、共にドリトーチップを食べながら、同じテレビゲームをした」という兄である。また、「榮進兄さんの死は、私の人生において、衝撃的な事件だった。私は、兄の死から、骨身に染みる教訓を得たのであり、今も、彼が話した言葉が、私の心の中で共鳴し、響いている。それが、私を懺悔と苦行、そして、修行の道に追い立てた」と話す。

 「榮進兄さんは、常に優しかった。父母様が語られるすべてのことに、いつも素直に従い、学校の勉強はもちろん、すべてのことに成果を得ていた。それに比べ、私は怠け者だった。落第し、学校を退学になった者だった。『敗北者』と呼ばれたこともあり、「門番」と冷やかされた者がまさに私だったのだ。もし神様がいらっしゃるのなら、なぜ私ではなく、彼を連れていかれたのか?! 私が逝くべきだったのに! まさに私であるべきだったのに、私であるべきだったのに‥‥。私はつぶやきながら、いつの間にか眠りに陥っていた。」(「はげ頭とイチゴ」の中から)。

 そして、2人の兄弟は、たびたび宗教や父に対する見解をめぐって論争を繰り広げた。そのたびに、兄は弟を導いていった。「偽善者が一番悪いのだ! 偽善の仮面を脱げ。父母様にもっとよく侍らなければならない。孝子になるべきだろう。もっとしっかりしろ。お父様に、『変わってくれ』と要求することはできない。お父様は、すでに80歳を超えていらっしゃるのだ! それは全く現実的ではない。おまえが変わるのがもっと可能なことなのだ」。

 もちろん、兄のこのような言葉に反発もしたが、今も、その言葉が耳元でぐるぐる回っており、「私が偽善の姿を見せる時、私自身をより正直な位置に戻してくれたりする」と話す。

 結局、彼は、愛する人の死がもたらした深い喪失感と絶望感、そして、どうすることもできない傷を通して、新たな内的な誓いをし、より一層宗教と信仰に没頭するようになる。

 そして、人生を揺るがすこのような経験を通して、「統一教会員」という自負心をもつようになり、文総裁に対しても、「多くのことを成就された尊敬する父」としてだけではなく、「霊的な師であり、案内者」として近づいていった。特に、禅仏教の師が伝えてくれた、自分を死に追いやる怨讐(ねずみ)にも、イチゴを分け与えてあげなければならないという寓話「イチゴの話」を通して、真の愛の教えに対する父親の洞察を確認するとともに、文総裁の偉大性を受け入れるようになったと告白する。

統一グループの未来を見る

 文亨進牧師の就任により、世界平和統一家庭連合は、新しい変化の時期を迎えている。二世たちの前面配置がもつ意味も大きいが、今後、彼らから新しい躍動的姿を見ることができるものと期待されるからだ。

 文牧師は若いが、先輩や後輩たちからの尊敬を一身に受けている。それは、誰にも見られない情熱と実力、実績をもっているだけでなく、謙遜で、すべてに率先垂範する姿勢のためである。

 彼は、元老信徒たちだけが行うものと見なされている早朝祈祷を長い間積み重ねてきた。また、6か国語を駆使するなど、外国語の実力も備えている。彼は、今後、12か国語に精通できるよう外国語の勉強をしており、それを通して、直接、世界の信徒たちと対話し、また、世界の宗教指導者たちと対話しながら、交流を通して超宗教活動をすることを表明している。

 文牧師は、過去数年にわたって修めてきた精誠のノウハウを、アメリカ、ニューヨークのUTS(統一神学大学院)において「天和堂修練」という名前で、また韓国では、清心神学大学院において「天一国の民」修練という名前で、信徒たちに伝授している。彼が体得した瞑想修行を信仰生活に接ぎ木させ、「真の人」に生まれ変わらせる修練である。

 彼は、2006年5月、大学院を卒業し、父親である文総裁に呼ばれて韓国に移住した後、12月1日、青坡教会牧師として正式就任するまで、非公式的に、これまで自分が修め、積みあげてきたすべての内容を、直接現場を回りながら実践している。

 去る7月29日、麻浦教会において、70数人の信徒を前にして最初の礼拝を始めたが、17週が過ぎるとともに、1部礼拝は4部礼拝へと拡大し、礼拝の参席人員は、平均600人以上に達するようになった。このように短い期間に急成長したのは、文牧師が、信徒たちの家庭訪問と個別接触を通して、それまでかたくなになっていた心を解いてあげ、真の心で信仰指導をしたためであると見られている。

 そして、言語の障壁ゆえに思いどおりに信仰生活ができなかったフィリピンの婦人たちをはじめとする外国人信徒のために、特別プログラムをつくって教育し、土曜日の午後には、英語礼拝を執り行った。

 また、アメリカで生まれ育ったため、韓国語が上手ではないが、まさにそのような理由で、彼が苦労して探し出したやさしい韓国語で進める説教は、純粋で、真実性がこもっているという評価を聞く。彼は、牧会者として、確固たる哲学をもっている。

 「伝統的な牧会には、罪を悔い改めようという内容が多い。私は、それよりは、罪人意識から抜け出し、生活の中で幸福と平和を追求しようというメッセージを伝えたい。私たちは、皆神様のVIPであるという考えで、勝利、悟り、平和の精神を伝える牧会活動を展開しようと思っている。」

 世界平和統一家庭連合は、プロテスタント的伝統が強いが、彼は、今後、東洋的瞑想などを積極的に導入することを明らかにした。

 宗教は、大部分、排他的である。しかし、文牧師は、世界平和統一家庭連合の創始者を父母にもつが、仏教、儒教、道教などの東洋宗教と哲学を勉強するなど、他宗教にまで視野を広げ、それらの宗教を通して、「初めて真の統一教会員になった」と告白している。彼は、文総裁が生涯を通して心血を注ぎ、展開してきた宗教連合運動を受け継ぎ、超宗教・超教派的な宗教指導者として成長するものと期待されている。彼もまた、「今後、超宗教的な活動を通して、宗教の葛藤と闘争を終わらせ、世界平和を模索する仕事をしたい」と話している。

 1954年、世界平和統一家庭連合の創設以後、これまで文総裁が追求してきた宗教連合と信仰革新運動などの各種懸案の解決が、文牧師を通して、より可視化されているわけである。今、世界平和統一家庭連合が、二世たちを通して一段階アップグレードされ、新しい希望を見せてくれているという点で、各界から肯定的な評価を受けている。

ID:6vqp6h
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ また次もよんであげようと思ったら

にほんブログ村  クリックして下さい。

家庭連合が犯した罪

家庭連合が犯した罪

この度、アメリカ本部に参りまして、亨進様、国進様からたくさんの

お言葉をいただきました。

文字起こしに時間がかかり、ご迷惑をお掛けいたしました。

み言葉を聞いたものとして、

皆様に伝える責任をおろそかにしたものであると、反省しております。

お話の内容が、きつかったり、誤解するのでは?、

と考え少し言葉を変えようとしたことが何度もありました。

その例として、下記のみ言葉を変えたくなりました。

全体の趣旨と異なる内容のみ言葉を削除したくなりました。

適切な場所に移動させた方がよいと考えました。

このような思いは、アメリカ本部に言って

お話を聞くようになってからです。

その誘惑と今も、戦っています。

^^^^^^^^^^^^^^^

祝福家庭と理想天国(1)

祝福と理想家庭

第三章 祝福の意義と価値

第一節 新生の根本原理

4.重生(新生)しようとすれば

新郎となられるイエス様の愛と新婦となられる聖霊の愛が一体となったその愛が、私の骨肉と一つにならなければなりません。すなわち、「わたしがあなたがたにおり、あなたがたがわたしにおるであろう…」というイエス様のみ言のように、愛の心情基盤が成されないでは、キリスト教でいう新生はあり得ないのです。

皆さんも、重生(新生)しなければならないと言いますが、皆さんが重生しようとすれば、イエス様を誰よりも愛さなければなりません。堕落圏内で、すなわちサタンの愛の圏内で築かれるそのいかなる愛よりも、神様を中心として築かれる愛がより一層次元が高くない限り、神様と連結され得る道がないということを知らなければなりません。

これが受難の道であり、宗教者たちの行かなければならない難しい道であるというのです。キリスト教徒たちもイエス様を日々思慕しており、イエス様が再臨されるのを首を長くして待っており、はらわたが張り裂けるほど「新郎イエスよ、来たりませ!」と、二千年間叫んでこなかったでしょうか。しかし、体が裂けていき、胸が引き裂かれ、骨髄が溶けるような立場、体の中にいるのか体の外にいるのか分からない境地、ただ神様やイエス様とのみ通ずることのできる境地に入るようになる時、初めて聖霊が臨むのです。

そうして、聖霊が臨むことによって、霊的な赤ん坊として再生することのできる霊的重生の役事が展開するのです。皆さん、そのような体験がありますか。そのような体験がない限り、まだサタン世界の息子・娘だというのです。まだサタンの讒訴を受ける人間であることを皆さんは知らなければなりません。そのような人は、天国に行くことはできないのです。地獄に行きます。(29)

血統を転換するのはメシヤがするかもしれませんが、転換されるように行動するのは、自分自身でなければならないと言いました。このような基準が成し遂げられない限り、私たちは救いの道に至ることはできません。それは決してたやすく成されるものではなく、死ぬか生きるかの境地を通過しなければなりません。四十日断食祈祷や、血を吐く死の境地に行って初めて、血統転換が可能です。(30)

イエス様は弟子たちに、このように語られました。「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」。

サタン世界の生命に未練をもたず、神様のみ旨の前に自分の血と肉と骨がめらめらと燃えて粉となり香りとなって、天地に香気を漂わせるまで神様を愛し、宇宙を愛する人は地獄へは行かないというのです。彼は永遠に生きることができます。(31)

「心と精誠をつくして、主なるあなたの神様に仕えよ」と言われたように、そこには私心がないのです。この言葉は、全体的な立場で公的であり、私的なものは受け入れられないということです。すなわち、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神様を愛せよ」と言われたのが第一の戒めです。これは絶対的な立場で公的であるということです。

絶対的立場での公的という言葉は、「私」がないということです。全体を代表して、それを主体としなさいということです。この世は堕落圏内に入るので、全体を代表する一つの中心存在として神様に侍っておき、絶対的な主体として侍るのです。そこでは、「私」という観念をもってはいけません。「私」という観念をもつようになると、必ずサタン圏内の所有的条件として残されるのです。自分を絶対否定する立場で、絶対主体観念を中心とする外的な物質と体と心が一つとならなければなりません。このような立場で、祭物を捧げなければなりません。(32)

イエス様はニコデモに対して、あなたが新しく生まれなければ、天国に入ることはできないと言われました。今まで生きてきた自分は、どうせ歴史的に否定されなければなりません。いくらうまくやったと弁明して自ら立てておいた何かがあるといっても、「私」自体は、否定されなければなりません。堕落人間であるために、そのような圏内から逃れられないというのです。否定されるべき生涯であり、否定されるべき生活であり、否定されるべき死んだ人生であったというのです。(33)

世界万民は、真の母が現れる前に生まれたので、むなしく生まれたことになります。それゆえ、イエス様に接ぎ木された立場でイエス様の腹中に入り、イエス様が夫婦となった時、聖霊を通して再び生まれなければなりません。偽りの愛によって生まれたため、真の愛を通して再び生まれなければならないというのです。キリスト教で愛を強調する理由も、そこにあるというのです。(34)

イエス様と一体となるには愛以外にはありません。真理でも正義でもありません。生命が存在するのに先立って、愛が必要です。愛は歴史をも飛び越えることができ、距離や空間の支配を受けないというのです。(35)

神様は、愛を中心として創造本然の人間を結合させようとされました。自分の身の苦しみを忘れて、ただひたすら愛を慕い求めなければ、本然の人間へと飛び越えることはできません。(36)

神様を愛し万物を愛する心をもつとき、堕落した愛を除去させることができます。創造本然の人間を追求する程度が、恋人同士愛し合う程度よりも勝っていて初めて発展します。神様を絶対的に愛し、再創造の愛の圏で人格価値を所有しようという目標を立てて前進しなければなりません。

なぜ、そうしなければならないのでしょうか。非原理的愛で堕落したからです。傲慢な愛、自分中心の愛などで堕落したからです。それゆえに、本然の愛である神様の愛をもって初めて、前進することができます。自己の本然の人格完成を望む心が、未婚の男女たちの恋愛する心以上になって初めて、完成基準に上がっていくというのです。サタン的愛を、神様の愛で消化することのできる力がなくては、上がっていくことはできないのです。

それゆえ、神様を敬慕しなければならず、理想的相対として来られる主を敬慕せよと教えるのです。これは、二千年の間新婦の立場で独身生活をし、新郎を待たなければならないキリスト教徒の生活の由来でもあります。このような内容を、キリスト教徒は理解できないでいます。(37)

この世の夫婦が互いに愛し合ったり、父母が子供を愛したり、先烈たちが国を愛した、その程度も神様を愛することができずして、神様の息子・娘になれるでしょうか。神様の真の息子・娘になろうとすれば、まず神様と霊界、地上、そして後孫の前で称賛される者とならなければなりません。

三点が合わなければなりません。三点が結合されて初めて、面積が生じます。二点では線にしかならないので、それだけでは足りません。(38)

神様を信じることができずに堕落したので、救い主を信じて従っていかなければなりません。従っていって何をするのでしょうか。愛の安息所をつくらなければなりません。簡単ではないですか。そして、新郎となられたイエス様と実体的に一体化し、心情一体化しなければなりません。そうして復帰しなければなりません。そのようにして、神様と真の父母と真の子女とが互いに出会う場、すなわち神様が太初より願われたその場がこの天地間にできれば、そこから新しい天地が開かれるのです。(39)

皆さん各自の血統的内容が異なり、背後が異なっているとしても、父母に似るためには、接ぎ木する役事をしなければなりません。ひっくり返して接ぎ木しなければなりません。接ぎ木したいのなら、皆さん自体に残された蕩減路程をすべて清算しなければなりません。それは父母から始まったので、父母を通して清算されなければなりません。それで、真の父母に接ぎ木しなければならないというのです。アダムが真の父母になれずに偽りの父母となったために、神様は今まで真の父母を捜してこられたのです。再臨時代に新郎新婦とか、小羊の婚宴というのも、すべて父母を取り戻すためです。(40)

皆さん、精誠も真の父母を通じなくては、考えることができません。国のために地区に出ていって闘い、地区長となって忠誠を尽くすといっても、真の父母を中心としなければなりません。すべてのことは、真の父母の因縁を通さなければなりません。真の父母の因縁を通して苦労し努力し、実りを得て初めて、天のものとして収められるのです。そうしなくては、天のものとして収められません。

それゆえ、成約時代は、侍ることで救われるのです。皆さんは、この世を慕う前にまず父母を慕わなければなりません。それが子供としての道理です。自分の花嫁を先に慕う人に、子供としての資格がありますか。父母のもとで育ち、父母が一番いい、という立場で成長するのが子供ではないかというのです。これが原則です。

将来、祝福を受けても、相対との因縁はあとで結ばなければなりません。まず、父母を慕わなければなりません。父母がいなければ、昼も夜もこの世もなく、自己の存在価値がないかのような気持ちをもたなければなりません。父母に対する思慕の心情と敬慕の心情が、皆さんの生活のすべてを占領しなければならないのです。それでこそ、天の息子であり、娘だと言えます。

そのような生活過程を通過したそのあとでこそ相対、すなわち妻なら妻、夫なら夫を迎えることができるのです。そうしなくて、どうして夫を迎え、妻を迎えることができるでしょうか。

まずは、父母を心から慕わなければなりません。私の生命の動機も父母であり、私の望みの一切も父母であり、私のすべての理想と幸福の根源も父母であるという基準を中心として侍らなくては、救いを受けることはできないのです。皆さんは、そのように侍ってみましたか。偽者のようですね。皆さんはこれをはっきり知らなければなりません。

それゆえ、皆さんは「私は真の父母と永遠に一つとなり得る息子、あるいは娘だ」という信念を、自身の存在意識を超越することができるぐらい固くもたなければなりません。そうでなくては、いけないのです。(41)

真の父母に侍るには、一人ではいけません。男性なら男性、女性なら女性、自己の相対的な存在がいなければなりません。もし一人であるときには、父母の前に、その何かを報いることができ、捧げることができなければなりません。それによって初めて、皆さんは父母の愛を相続して、自分たちの後孫に血統的因縁を連結させることができるのです。血筋を通して、このような因縁を連結させることのできる価値的内容が決定されるのです。このように愛の土台を基盤として真の父母に侍ることができるのです。このように血統的な相対的価値を基準として真の父母に侍ることができるのであって、そうでなければ侍ることはできないのです。皆さんはこれを知らなければなりません。(42)

統一教会の信仰は、自分が神様の息子・娘であることを実感するところから出発します。これは、神様の愛を中心として子女の立場を復帰することです。(43)

真の孝子女となりたければ、父母の心情を通過すべきなのです。統一教会に入ってきて先生を知りたければ、先生の心情的世界に入っていかなければなりません。

責任者たちや伝道師たちがこのような心情に入って、道を行きながら一日のうちに何度も、我知らずに神様の心情に息が詰まって、とりとめようもなく痛哭する境地を体験するようになれば、その教会はすべての事がうまくいかざるを得ません。(44)

精誠を尽くす心情の世界では、先生と皆さんは一つとなることができます。心情の世界ではすべてが一体となれます。心情は距離を超越し、環境を超越し、歴史を超越するからです。時代を短縮させることもできます。

ですから、皆さんは先生と同じ立場に立たなければなりません。先生が悲しめば、皆さんも悲しまなければなりません。呼吸を一つにしなければなりません。先生が息を吐けば皆さんは息を吸って、先生と一体となって、拍子を合わせていかなければなりません。(45)

皆さんも、難しいけれど復帰の道を行っています。このような道を行っているのは、皆さんであれ私であれ、神様を知ったからです。不平があり恨みがあるとすれば、神様を知ったという罪しかありません。それゆえ、恨むことはできません。それは悪いことですか。神様を知らないためにすべてが滅んでいき、共産党がこの世をのみ込み、キリスト教が全部崩れていっているにもかかわらず、神様を知ったことが罪なのかというのです。どんなに悲惨であっても、この道が貴い道であるので行かざるを得ません。どうせ、すべてのものが崩れていくからには、死ぬほど忠誠を尽くして立派に行こうというのです。(46)

真理を探求するにおいても同様です。既成教会のように聖書を読むからといって済むものではありません。どれほど膨大なはかりではからなければならないか、考えてみなさいというのです。実験する人が、あれこれ持ってきては合わせてみるように、真理や原理を探り出していくのです。それを考えれば、先生は多くのことを発見したことになるのではないですか。(47)

ID:6vqp6h
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ また次もよんであげようと思ったら

にほんブログ村  クリックして下さい。

Cyberサンクチュアリ人協会へようこそ

Cyberサンクチュアリ人協会へようこそ
サンクチュアリ教会世界宣教本部 公認教会、Cyber(サイバー)サンクチュアリ人協会(The Cyber Association of Sanctuarians) 公式サイトへようこそ!

二世部・父母会
<二世部(仮称)>

・サンクチュアリ青年部スタートしました。まずは全国に散らばる二世との交流、み言葉の共有、勉強会などですが、共に支え合って成長していきましょう。

お 問い合わせ、ご相談は cas.2sei@gmail.com まで。中高生部も準備中です。連絡お待ちしております !

<父母会>

祝福二世の父母マッチングの準備を開始しています。サンクチュアリマッチングサイトも作成中です。お問い合わせはこちらから

父母会長ブログ「原理講論を読む」から

何故心情文化は形成されにくく、何故中和文化祭は一世の自己満足に終わるのか
タツノコプロのアニメ 親子劇場(聖書物語)
中高生のためのヨセフまでの復帰原理の副読本 中川健一著 「日本人に贈る聖書物語」 族長たちの巻

ID:6vqp6h
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ また次もよんであげようと思ったら

にほんブログ村  クリックして下さい。

英国が立ちあがりました。

Newfoundland Sanctuary ChurchのFasebookに載っています。

ご覧下さい。

英国が立ちあがりました。

https://vimeo.com/150485265に配信中

Newfoundland Sanctuary Church
1月3日 19:10 ·
Ted O’Grady declares his solidarity with Hyung jin Moon, the Second King of Cheon Il Guk, and the Sanctuary Church in Newfoundland PA

Sanctuary Church UK: True Father and Kim Il Sung as Victorious Jacob and Esau on Vimeo
Ted O’Grady declares his solidarity with Hyung jin Moon, the Second King of Cheon Il Guk, and the…

以下は、機械翻訳です。すみません。

ニューファンドランドサンクチュアリ教会
1月3日午前19時10・
テッドO’Grady氏は、文亨進、チョンイルGUKの第二王、そしてニューファンドランド州にあるサンクチュアリ教会で彼の連帯を宣言

サンクチュアリ教会英国: Vimeoの上の勝利ヤコブとエサウのような真の父と金日成
テッドO’Grady氏は、文亨進、チョンイルGUKの第二の王、との彼の連帯を宣言…
VIMEO.COM

どんどん疑問なこと質問して下さい。

なんでもOK

たけうち整体院内

住所: 〒547-0041 大阪府大阪市平野区 平野北1丁目10-33

電話:070-5436-3138

ID:6vqp6h
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ また次もよんであげようと思ったら

にほんブログ村  クリックして下さい。