HSUは、どんなこと勉強するの?(聖霊大学は、どんなこと勉強するの?)
HSU(聖霊大学)は、こんなこと勉強します。
例えば、天一国合衆国憲法の予定表(シラバスSYLLABUS)は、
シラバスSYLLABUS
①回目の6月22日は、 自己紹介 導入パワーポイント
②6/29
Ⅰ 三代王権の役割と人間の責任分担 (前文の解説)
Ⅱ 聖書的観点(biblical base)の欠如(み言、Q&A他)
③7/6 Ⅲ 正しいキリスト観(亨進様、国進様のQ&A)
④7/13 Ⅳ人間の権利はどこから?
・政府の意義(独立宣言から政府の意義を考える)
⑤7/20 Ⅴ自由と責任の意義
・自由意志と悪の存在の可能性
⑥7/25 エルダー本部長の質疑応答
⑦8/3 Ⅵ 第3祝福の再考察 Ⅶ 銃器所有の意義
・万物主管の再考察
・お父様のみ言の整理
⑧8/10 証し会
⑨8/17 Ⅷ 天一国の様相 Ⅸ アメリカ合衆国憲法の意義
・我々がイメージしていた天国と神が願った王国
・アメリカ合衆国憲法の修正1条および2条の意義
⑩8/24 まとめ 天一国市民としての自分の役割
昨日の、⑨回目の勉強内容は
⑨8/17 Ⅷ 天一国の様相 Ⅸ アメリカ合衆国憲法の意義
・我々がイメージしていた天国と神が願った王国
・アメリカ合衆国憲法の修正1条および2条の意義
です。
⑨について、皆さんで考える内容は、
Ⅷ 天一国の様相
①あなたが今まで考えてきた天一国とはどういう国なのか、についてを説明してください。
②2代王や国進様のみ言では、天一国はどういう国であると語っていますか。あるテーマに絞って、(経済、社会制度等)説明してください。また、あなたが考えた①の回答と相違点があるならば、説明してください。
Ⅸ アメリカ合衆国憲法の意義
③2代王のインタビューから感じたことを話してください。
④これらのテーマに関して、あなたが感じたことを話してください。
上記の①②③④の質問を考える為に一部資料が提供されます。さらに、自分で参考資料を探しだし
勉強、研究して発表します。
パソコンのテレビ会議システムである、ZOOMソフトを使い参加者の顔見ながら
討論してゆきます。
参考資料は以下です。
2018年8月17日, Ⅷ. 天一国の様相 Ⅸ アメリカ合衆国憲法の意義,・我々がイメージしていた天国と神が願った王国,・アメリカ合衆国憲法の修正1条および2条の意義, Ⅸ. アメリカ合衆国憲法の意義 (公開用)
聖霊大学参加の皆さん
先日は、素晴らしい証をありがとうございました!非常に特異(!)な経歴をお持ちの方が多くて、こういった方々を集わしめて、天一国の基礎がこれから築かれていくのだろうかと感じました。
それでは、次回の宿題と資料です。いよいよ天一国の姿を考えて行くわけですが、資料として2代王のみ言、そして、国進様の質疑応答を送ります。国進様のみ言は長いですが、(1)~(5)あたりを読んでいただければと思います。
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天一国憲法から学ぶ文化(6)
第6回
※ これら4つの質問の中から一つだけを選んで、その答えを次回のクラスにおいて発言してください。またその質問に答えようとする過程において何を感じられたのかを話してください。
グラハムレジャーによる2代王へのインタビュー.doc
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グラハムレジャーによる2代王へのインタビュー
グラハム:
連邦議会下院では来週、「学校の安全に関する法案」を議決する見込みですが、その中に「アサルトガン禁止」などといった銃規制に関する内容が一切見当たりません。修正第2条(市民の武装権)を制限せよというお決まりの圧力に屈せずにこれを退けたのは下院共和党の功績ですが、こんな中身のない法案を認めたことはいかがなものでしょうか。
一学校当たり500ドルの予算でできることは限られています。どうして上院で銃の隠匿携帯を認めて、修正第2条を生かすことをしないのでしょうか。
ところがここでペンシルベニアのとある教会が、修正第2条(市民の武装権)を称賛しました、もちろんこれは必然的に修正第1条(宗教の自由、表現の自由など、基本的人権を定める)を保護することことにつながります。この教会は「ムーニー」として知られた教会で、銃器、特に、AR-15を祝福しました。
ペンシルバニア、ニューファンドランドにある世界平和統一聖殿、そして「鉄のつえミニストリ」の創設者、ショーン・ムーン牧師です。
ムーン牧師、お尋ねしますが、あなたは故文鮮明師の息子さんですね。
2代王:
そうです、父は私を後継者として3度にわたって指名しました。
グラハム:
数百万のアメリカ人がいまこの番組を見ているのですが、多くの人が、どうして番組にムーニーを出すのかと思っているでしょう。なぜいまこの番組に「ムーニー」が登場しているのかをあなたから説明して下さい。もちろん軽蔑的に「ムーニー」といったのではありません。私はそんな話をするつもりもありません。なぜなら、あなたが先週、挙行した行事があまりに素晴らしいものでしたから。私が下した結論はこれです。あなたは、本質的に修正第1条(宗教の自由、表現の自由などの基本的人権)を行使して憲法修正第2章(市民の武装権)を賞揚した。あるいは、修正2条を行使することで修正1条を高めた。その行事についてお話しください。
2代王:
そうですね、左翼メディアは式典を取り上げて、われわれがAR-15を祝しているだとか銃器カルトだとかいっています。しかしこれほど事実とかけ離れた報道はありません。われわれは、結婚を祝福し、主権を祝福したに過ぎません。聖書には「誰にも王冠をわたしてはいけない」とあります。ロマ書8章17節にもありますが、われわれはキリストの共同相続人です。神の子であるということは、ロマ書8章に見るように、キリストと共同相続人だということです。
ただ、家庭、男女の結婚、そして神が家庭を守るためにくださった武装具である、「鉄のつえ」を祝福しただけです。これを左翼メディアは、バランスを欠いた報道で、善人が自衛の為に武装するという積極的な側面を汚し中傷しているのです。
グラハム:
実際、合衆国憲法を作った人々は、修正第2条が、宗教の自由などと同様に、銃器をもって自衛する権利は神が与えた権利だということを念頭に置いていました。この基礎の上にあなたは立っているということでしょう。そこにはどういう人々が参加したのですか。また祝福式に銃を持ち込んだのですか。
2代王:
世界中から約600名が集まりました。50から100丁のAR-15が教会の中に持ち込まれました。そのすべてを安全チェックしました。左翼メディアはここでも写真を撮り、記事にしたのですが、銃はチェックされ、式典のために無力化されていました。私たちの教会では毎日曜日、銃の隠匿携帯を許可しています、いやむしろそれを奨励しているのです。それは善良な人々が憲法の保障する権利を行使することです。銃の隠匿携帯もそういうことです。それによって高い安全を感じることができます。おそらくうちの教会は最も多様な人種が集う教会でしょう。全員が法を守る善良な銃保持者たちですから最高の安全を享受しています。
グラハム:
あなたがされたことは本質的に、他の教会がしていることを一新する、覆すようなことです。
ガンフリーゾーン(gun-free zone銃砲の所持禁止区域)を撤廃し、本来のアメリカ人を取り戻し、憲法の定める権利を行使し、修正第1条を行使しながら第2条の権利を享受する。その結果、あなたの教会は地球上で最も安全な教会になっています。
2代王:まあ、ライフルのおかげで確かに安全だと思います。(笑)気の狂った者でも、うちの教会をターゲットにしようとするものは一人もいないでしょう。全くガンフリーゾーンではありませんから。(笑)
グラハム:
銃器を祝福するということは決して新奇なことではありません。主流メディアは、あなた方を「狂った者たち」のように演出していました。では全く前代未聞かといえば実はそうではないんですね。例えば、第二次世界大戦中、牧師たちは休戦よりも、軍の装備品を祝福していました。ですから(銃の祝福は)前例のない突拍子もないことでもないんです。新奇な開拓者である、というよりも伝統を守る者ということもできます。
2代王:聖書からはずれるものでもありません。ルカ書22章でイエスは弟子に、「衣を売って剣を求めなさい」と言っています。キリストご自身が、再臨されるときの神の国を定義されて、また「鉄のつえ」でこれを治めるといっています。善人はキリストと共同相続者となり、鉄のつえをもって共に治めると。これが何を意味するかというと、善人が武装すればならず者が自由に罪を犯すことができないということです。統計を見ても分かります。
グラハム:
あなたはどうして、パークランドの高校の乱射事件の直後のこのタイミングで、これをしようと思ったのですか。行事は事件の前に計画されたのでしょうか。事件を機にアンチ修正2条が無神論と結びついていく様子を見たから、これが動機なのですか。
2代王:この行事は6カ月前にすでに計画していました。フロリダで起きた悲劇的な事件とは関係ありません。もちろん多くのアメリカ人は、事件は銃所持者が悪いのではなく政府のミスだといっています。どうしてこの凶行で銃所持者一般が責められるのか分かりません。政府の様々なミスが重なりました。副保安官が4分以内に現場に行かなかったとか、FBIは犯人について39件も事前の通報を受けていたにも拘らず対策を取らなかったなど、様々なレベルでミスが重なりました。われわれは何カ月も前から行事を計画していましたし、式典は神さまから賜ったものを祝福しただけです。
グラハム:
ではフロリダの事件を受けて行われた行事ではないわけですね。あなたは韓国系アメリカ人ですが、北朝鮮のかわいそうな人びとが仮に修正2条(武装権)をもっていたとすれば、もちろん彼らには基本的人権すらありませんが、仮に、政府に対抗できる武装権があったとしたら、どうでしょうか
2代王:私たちは2000年の始めから数年間、韓国ソウルで活動していました。韓国の国防省や軍の人たちとも話をし、スイスやイスラエル型の防衛システムの必要性を説きました。中国や北朝鮮の脅威があるからです。つまり徴兵して軍で訓練された後は、家庭に武器を持ち帰ることで、独裁者が韓国に侵略を始めた途端に、自国のために立ち上がることができる。
グラハム:それが必要ですね。北朝鮮も基本的人権、武装権が必要です。実現するのがいつかわかりませんが、われわれが生きているうちに起きるかもしれません。レバレント・ムーン、神の祝福があなたとあなたの銃にありますよう
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2代王が語られる天一国の姿.doc
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2代王が語られる天一国の姿
(1)ヨハネの黙示録21章1節~4節
21:1わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。 21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
(2)2代王が語られる天一国の姿
①《2018年2月18日 英語礼拝より》
19章 28節を見ましょう。
「新しい世界になり、人の子が栄光の座にすわる時、あなた方も私に従ってきたのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。…」
御国が実現した時、私達の仕事は何ですか。どういう責任がありますか。聖書は明確です。私達には御国における責任があるのです。福祉、自由な食糧、お金ですか。そういうものは、保守的なクリスチャンが期待していることです。民主党も同様です。それは、神様の取り決めではなく、全体として、聖書には合っていません。聖書には、キリストを助けて「部族を治める。」と書いてあります。
話を戻します。天一国においても、聖書に明確に記されているように、私達には責任があります。共同飛行船や福祉の列車に乗るわけではありません。天国はもう働かなくてもよい場所ではありません。クリスチャンには、こんな保守的な考えの人も居ますが、そういうことは考えられません。信じられないことです。とても愚かなことです。聖書は明白です。皆さんはキリストと共に支配するのです。強い裁判官として立つのです。皆さんは人々を審判しなければならないのです。要するに、天国では、皆さんに責任があります。普通の神学者が言うような無責任ではありません。イエス様が全てを成して、闘うのは自分達ではなく、主が闘ってくれるのではありません。聖書のあちこちに記述があります。イエス様は天国について記され、ご自身を規定しています。何もしない福祉天国などあり得ません。
天国では、私達には義務と責任があります。私達は人の不正を裁くのです。悪事、不正を働く人達を素早く、人々(=王達と王妃達)が裁くのです。天国では、キリストと住み、共に支配するのです。ただ座って、キリストの支配を見ているだけではないのです。私達は、天国における実際の支配に参加しなければならないのです。全ての国において、地球が終わるまで、その位置は与えられるのです。皆さんは、鉄の杖で支配しなければならないのです。聖書の黙示録19,20章,2章27節に記述されている通りです。キリスト自ら鉄の杖で治めると書いてあります。福祉天国はあり得ません。愚かな話です。それは、高貴な人ではありません。偽りのクリスチャンです。
②2018年2月27日水曜礼拝◆神の王国の鉄の杖Ⅵより
クリスチャン達が考える天国は完全に非聖書的な天国です。自分たちが考えていることは、地上天国が来た時、社会主義なのです。
自分がすべてのものを無料でイエス様から受けて、すべての涙までも拭いて下さって、仕事もする必要がなく、主が全てしてくれる、このようなのです。このようなもの!社会主義、社会主義、無償福祉、無償福祉、社会主義!
ところでマタイによる福音書25章(25章31節-34節)にも出てくるではないですか。ヤギと羊を分離して、右側には、羊達に権能を与えられる。責任を与える、責任!権能も与えて!
③3月14日水曜礼拝◆神の王国の鉄の杖Ⅷ
だから天一国でも神様の王国でも、クリスチャンたちが神様の王国に行けば、まぁただ私たちは毎日寝ることができて幸せに神様と一緒に飛び回れて、私たちは福祉も受けられて、ただでお金も貰えて、この様に狂った人、完全に左派のやつらのようにキリスト教徒が洗脳されるのです。こうやって!
聖書を見ると、神の王国がこの地に来ても市民たちに責任があります。マタイの福音書19章を見ると、マタイ福音書25章を見ると神様がまさしく言われます。お前たちに権限と責任!審判の責任も与えると言われます。マタイ福音書19章で。
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170527国進様の質疑応答(編集).doc
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国進様の質疑応答(2017年5月27日)(1)
皆さん、こんにちは。えらく、偏って座っていますね。あちらに座らない理由があるんですか?あちらにいるのは誰だろう。カメラの位置を気にしないで、くつろいで座っていますね。
さあ、何から話しましょう。王国について話していたのではないのですか。だからここに残っているんでしょう?王国についてどんなことを学びましたか。神様の王国のすばらしい所はどこでしょう。
そう、王国は自由の地です。神様の王国の基礎をごらんなさい。
お父様は神様の王国はどのような所だとおっしゃいましたか。
良心で暮らすとしたら、それは自由意志をもつことですか、もたないことですか。
良心をもつということは選択の自由を得るということです。
自分の信じることの正誤を、関係性や状況を理解するうえで自分の道徳観にもとづいて決めることができるということではないですか。自由の要素、自由意志があるのです。愛はどうですか。自由意志なしに愛は存在しますか?
愛するように強制することはできませんか。できない?
神さまの王国は、良心の王国、自由意志の王国です。自由意志があれば、必ず愛を得ますか?少なくとも、愛される可能性はあります。公平ではありません。ある者は愛され、ある者は愛されないから神様の王国は不公平ですか?ひどい神様ですね。
だから、神様の王国では、自分で何かをしなければなりません。そうしなければ、何もあっちから与えられません。例えば、お腹がすいたらどうしますか?仕事を始める?それだけの知恵がなければどうします?確かに建国の父のひとりは、空腹こそ勤勉の最高の動機だといいました。おそらく今お腹がすいているんでしょう。
どうやって生活するか考えなければなりません。でもこれはいい質問だしとても大切な質問です。神様の王国を考えるとき、そこに必要な要素があります。自由意志と選択の自由です。何事も自分から始めなければなりません。そこに保証はありません。リスクがあります。物事にリスクがあり、保証はありません。愛を得ることができないかもしれないし、食料を得ることができないかもしれない。そんな世界に住みたいですか?(はい)
どうして?われわれの話している天国の基礎となる要素を見るとき、強制のない、個人の選択に根ざしています。それが天国建設の思想的基盤です。
だから天一国憲法をみるとき、そこに違いが・・基礎がある。つまり自分の人生をつくっていく上で、幸福を追求していく上で、選択の自由と良心、自由意志を持つこと、これが根っこにあるのです。しかし成功する保証はありません。経済的に成功する保証もありません。情緒的に成功する保証もありません。しかし最終的に愛を見つける可能性、人生に満足する可能性はあります。神様が計画されたものです。
神様の王国についてその要素を語るとき、具体的に、憲法のクラスで話し合うとき、反対側を見てみましょう。サタン側ではどうなっているのか。サタンの王国の思想的基盤はなんでしょうか。選択の逆とは何ですか?力(強制)ですね。
サタンの王国では基本的に、彼が自分より多くを持っているとしたら、そばに行って一緒になってそれを盗もうとするのです。それが社会主義でしょう?
社会では、それぞれの人がそれぞれの量の社会資源をもっています。所持金の量も違います。それが不公平だといって・・。不公平だという人々を集めて、不公平だと叫びをあげる。そして盗み取る。もし人がそれに抵抗すると、どうやって盗みますか?
どうしますか。その人たちを殺して、打倒し自分たちが作ったわけでもないものを、奪い取ります。それが社会主義の基本でしょう?それがサタンの王国の基本です。
ねたみと嫉妬、奴は自分より多く持っている、奪い取ってやれ。そういう社会では、道徳は何によると思いますか。平等主義の考えは、正しくないでしょう。悪ですか?
(機会の不平等は・・・)
そう、機会の平等があり、結果は不平等になる、これがポイントです。
人はそれぞれ能力に違いがあり、才能も異なるからです。そう、みんなそれぞれ唯一の存在です。たとえ、経済的平等を強制的に実現させようとしても、人は不平等のままです。幸福度に関して不平等は残るからです。ある人は別の人より幸せでしょう。ある人は愛する人とともにいるけれど、ある人は悲惨な状態でいる。だからたとえ、結果的に経済的平等をつくりだしたとしても、幸福における不平等が生じます。平等が生みだす結果は何ですか。
サタンやサタンの王国、サタンの思想、社会主義、共産主義について語るとき、その問題に直面します。「自分は犠牲者だ」「不公平だ」こういう思いを持つ心理は、決してなくなりません。経済的平等になったとしても。絶えず嫉妬の思いは生じます。自分自身の向上に目を向けないからです。苦労して、個人としての自己を見ようとしないからです。つねに自分を人と比較する。
そう、根っこに他人への嫉妬があるのです。出て行って自分で人生を切り開こうとしない。惨めな自分の中に自分のアイデンティティを見つけようとする。結局それは何ですか?
その自己中心の塊は?偶像崇拝です。社会主義の基礎は、偶像崇拝なのです。犠牲者である自分を崇拝しているのです。ここで十戒に戻るのです。だから神様はわれわれに偶像崇拝を禁じたのです。終わりがないからです。
社会というものは結局、基本的な原則、原理に基づいています。きわめて単純な教訓が社会、国家、世界の基礎にあるのです。世界を見るとき、大きくて、とても複雑にみえるでしょう。複雑さが世界をつくっているのではありません。根っこにある、基本的で単純な哲学的原理のうえに全世界が成り立っているのです。だから自由な意志の上に築かれた社会と、強制の上に築かれた社会では根本的な違いがあるのです。これは二律背反、お互いに交わらない原理です。うまく調和しないのです。水と油のように。結果平等の社会を追求するならば、力を用いて平等にするなら、それは絶えず自由意志の思想から自分を引き離すことなのです。そしてその強制力をつくりだす組織が成長するにつれて、その力を濫用し、抑圧的力を強めていくのです。そうして、戻れない坂道を転がり落ちるのです。
エデンの園でアダムとエバが堕落した時のことを考えるとき、エバがいかに無邪気にリンゴを食べたことでしょう。しかしひとたびその道を下り始めると、世代を超えて滑り落ち続けるのです。エバの行いの結果は無限に倍加され、この世界すべてがサタンの被造物となり、サタンの王国が作られることになったのです。だからそこが問題です。どこから始めるかが重要なのです。どんな基礎の上に王国が建てられるのか。種が問題です。植えた木は何の種なのか。良い種か、悪い種か。
基本的な道徳的価値が、根本的に全世界の運命を決めるのです。世界がどうなるか。これは皆さんが選択する問題です。全統一運動がお父様の聖和の時に選択すべき問題でした。どのような王国を求めていくのか。神様の王国のビジョンは何か。一人の選択が重要です。あなたの選択がいつも同じとは限りません。周りを取り巻くこの世界、キリスト教に基づくこのわれわれが喜びを得る世界、それが西洋文明を発展させました。建国の父が革命戦争を通して闘い取った世界。人々がただ日々関わり合うことだけで、保証される世界ではありません。実際これは歴史上特異な出来事だったのです。人類歴史のほとんどはこんな風にはいかなかったのです。
国進様の質疑応答(2017年5月27日)(2)
自由な社会は長続きしないのです。本当に悲しむべきことはこれです。
われわれの先祖が聖書的歴史期間を通して自由と自律の憲法を掲げて、このアメリカ合衆国を建てるために働き続けてきました。ここまで何百万という人々がこの国のために命を懸けたのです。それを相続した人々は、先人の労働と犠牲のおかげで、この国にみのった実を享受してきました。しかし相続したその価値を貴重に思わなかったのです。それが大きな問題です。世代を超えるということが。ただで手にした実を尊ぶようにどのように子供を教育しますか?独裁ではなく自由を選んだのは「私」です。父から受け継いだものの価値を受け継がせていくこと本当に試練であり難しい問題です。
それは神様の創造以降、アダム、エバを通してできなかったことなのです。彼らは神様から相続した価値を理解できなかったばかりか、それを駄目にして、僕(しもべ)に与えたのです。しかしその僕はそれを世代を継いで相続してきました。聖書的意味でこれを見るなら、最初に与えられた祝福はアブラハムに与えられたものでした。自分が創造主から与えられた祝福の価値の意味を父として子孫に伝えることができたという意味で模範です。
アブラハム家庭が勝利した、第2世代、第3世代へと続くこの祝福の伝承、イスラエル民族にまで確保したこの祝福の伝承。これこそ私たちが家庭をもつときから抱える大きな挑戦です。夫婦間の理想の関係だけではなく、その価値を血統を通して両親から子供に伝承するのです。アブラハムは、イサクとヤコブをとおして勝利者となりました。だから、神様はその三代を一つとみなしました。なぜなら地上で時間を超えて権威が継続するためには世代を超える権威と責任の伝承が必要だからです。それに成功しなければ血統は、終わってしまいます。
そこが個人であること、神様の真理と愛をもつ善なる個人であることと、天一国の王になることの違いです。主権を考えてみたとき、それは個人的な自由だけではありません。主権は血統を通じて次世代また次世代に伝承していくものです。だから今、王様があなた方に王冠をかぶりなさいという時、皆さんは神様から頂いた祝福を自分一代で消費するのではなくどうやって次世代に伝えるべきかを考えなければなりません。だから「私」だけの問題ではないのです。王国の王になりたいと思う人、すべてが相続について考えなければなりません。
(質問者)あなたがおっしゃる、自由とその伝承について考えました。いま子供たちにその価値をどうやって教育したらよいか今一つよくわかりません。無償で与えるものですから、幼い子供はその価値を理解できないのではないでしょうか?
(国進ニム)問題は自分が一生かけて努力してきたものをどうやって子供に伝えるかという問題が最大のポイントです。子供に関していえば、あなたは自分の血統を王として、自分が選択しなければなりません。自由意志と責任をもって自分が築いた財産を、(子供たちのうち)ジョンに与えるか、ジェイか、それともジェーンなのか・・・あるいは自分の責任を放棄して、子供たちに平等に分けるというか。世代を超えて主権を発展させる家庭になるか、一代限りの主権で終わる家庭になるかのそれが境目です。
つまり、一つの子供に対するテストです。しかし最後には、霊界に行くのだから、あなたは選択しなければなりません。
(質問者)もし子供たちに全く平等に分け与えたとしたら、価値を理解できずに社会主義的に引き込まれるのでしょうか?
(国進ニム)そこがポイントです。あなたが父親として、これが一番簡単だからといって、子供たちの位置や個性を考慮することなく「皆、平等に与える」といえば、誰が自分の血統として相応しいかという選択を放棄することになります。
ここで、少し困った立場に置かれたことを自覚しますか?ここが主権と主権なしの違いです。王であるのか、僕、奴隷であるのか。選択です。難しい選択です。一生を通して、家庭、国家建設などに向けて選び続けなければなりません。どのように子供に相続させるか、子供たちをどう評価するか、どう判定するかという選択までしなければならないのです。子供たちの徳をいかに測りとり、判定するのか。
主権を話すのは簡単です。責任を語るのも容易いことなのです。神の国で王になると話すことも簡単なのです。しかしその役割を責任もって成し遂げることはもっと難しいのです。
国進様の質疑応答(2017年5月27日)(3)
堕落世界を見るとき、法律が人々をどういう道に押しやっているのかが分かります。基本的に法律は、遺産は子供たち全員に分けて、一人に集中させないようにしています。他の国でも、アメリカでもそうです。また基本的に、自分が蓄えたものを、退職後の生活で死ぬまでにすべて使い果たさせようとしています。99.99%の人にとって社会はそういう風に仕組まれているのです。その理由は何でしょうか。平等主義の原理、すべての国民に機会を与えようとする動機からきているのでしょうか。違います。
そのような法律は後付けで作られたのです。王を欲しない、一家の血統をもたせたくないある勢力が存在するということです。世代を超えて気づかれる財産を、散財させたいのです。アメリカ社会でさえ、現在の法体系では、本当に裕福な者には法の抜け穴があって、いくらでもあるその抜け穴から、税金も取られずに実は一人に富を集中させることが可能なのです。上手く遺産対策をすれば。基本的にシステムがそういう風に、人々が世代を超えて富を蓄積することができないように設計されているのです。だから人々の大半は神の国の王権に参画できないのです。わずかな人だけが、弁護士を大勢雇って次の世代に富を相続させているのです。それによって、ごく少数の一族が世界の人々の命運を握るなどということができるのです。だから一般の人々が相続や後継に関する決定と選択を難しくする法律こそ根本的に世界の人々の害になっているのです。それでは社会が良くなりません。
だから私たちがコミュニティとして、神様の王国創建について考えるとき、それは避けて通ることのできない問題だというのです。どうやってその法律を変えていくか。いかにして普通の中流クラスの人々が賃金奴隷になることなく、現実の主権者となることができるのか。次世代が富を相続できなければ、主権者とは言えません。
(国進ニム)相続税もあれば、贈与税などあらゆる税があって、人に何かを贈りたければ税を払わなければならないこともあります。様々な分野で、国民が財産を子に譲ろうとすると、政府がそれを取り上げる仕組みがあります。しかし信託法や国家計画をよく理解して、国の先を行くなら、そのような税のしくみを回避することも可能です。
(質問者)世代から世代へと財産を受け継いでいけば、たとえ政府が「このお金は、これこれの目的に使う・・」といっても、それが必ずしも正しくないということを学ぶことができるように思います。個人の主権ということを重んじれば、誰が最も相続に相応しいか、そして家族全体を守ることができるのか。世代間の相続は、主権の価値全体をある世代の正しい人から次の世代の正しい人に受け継がせることのように思えます。
(国進ニム)賢明な選択をするということはあなたの責任です。必ずしもすべてを一人に継がせることが必要だとも思いません。多くの子供がいて、一緒に働くことができるなら、相互の協力が可能なら、個人の財産というよりは事業をある割合でシェアすること、協調を継続できるなら、子供たちそれぞれに価値があるとわかるでしょう。しかしあなたが親としてその価値、功績を判定しなければなりません。
両親にとって、とても難しいことは、子供たちを見て、この子はあの子より優れているからこの子に多く相続させようと、決めることです。しかしそれは現実です。それぞれの子供はそれぞれ違った才能を持っています。家族とその血統のために自分が何をすべきか考えなければなりません。世代を超えて主観をいかに発展させていくか。相続させるものはお金だけとは限らなにのです。お父様にとってそれは、「真の父母の祝福」がだったのです。つまり祝福を与える権能です。本物の遺産です。
国進様の質疑応答(2017年5月27日)(4)
いつだってその要素はあるのです、どの子が親の与えた価値を理解しているのか見極めることです。これがチャレンジであり、神様の王国が失われた理由でもあるのです。この難題の前に、人は親として、この選択はしたくないと、どうせなら平等に分けてしまおうというのです。でもいいですか、平等に分けようと決めることもある選択なのです。どちらにころんでも選ばなければならないのです。自分の血統と主権を創設することもできるし、子供たちの主権を破壊することもできるのです。
ここにいる人たちも、子供たちがその決定を聞いて「不公平だ!」というのを聞くのは嫌でしょう。「不公平だ」という、言葉は何を意味するのでしょう。その発想の基礎にはなにがありますか。サタンの王国です。あなたの子供が「あまりにも、不公平だ!」というのは、本音は「力を行使してもその決定をくつがえす。自分も分け前にあずかれるはずだ!」ということです。
それは社会主義の基盤ではないですか。「そちらが自分にくれないなら、どうであろうと自分から奪う」というものです。子供の一人がそういうことを言い出したら、何とこたえますか?「主権」からでる言葉は決まっています。「駄目だ。力ずくで奪おうというなら、お前を討つ」。「自衛手段も持っている、自分の資産は守り抜く」。だから「主権者」として強くならなければならない。自分の王国を守る手段と意志をもたねばなりません。ここで最初に戻ります。自由意志と、言論の自由と、信教の自由から出発しました。それらの自由をもっているなら、そして「主権者」だというのなら、「自由」は自動的に次に必要なものを。自由があるというなら、あなたの家も富など自分が築いたものは、むざむざ他のものに奪われてはなりません。それが自分を守る自由だというのです。だからすべてつながっているのです。何世紀も人類が見つめてきたその、本来の権利、神様の贈り物と言ってもいい-それは聞くに心地よいから、あるいは銃をただ所有したいから、誰かがつくりだしたものではありません。それらはひとまとまりの権利です。ほかのどの権利が欠けても基本的な良心の権利を維持することができません。
国に、守りを委ねると、国に自分の所有を引き渡さなければなりません。そして信仰の自由も言論の自由も良心の自由も失います。自分の持物も失うのです。ひとたび、国が守ってくれるようになれば、自分の物を守る手段を失います。国がやって来て、所有物を求めるからです。その時、国になんといいますか。何も言い返すことができません。自分を守る術をもたないからです。
これは革命的原理です。それは聖書的経済学とよべるものです。イエス・キリストの経済学です。再臨主の経済学です。その経済原理はすなわち「自分が汗して稼いだものは自分が所有する」という原理です。自分が苦労して得たものは、自分が保管する、ということ。
ここで問題が生じます。自分がとても生産的で、たくさん稼ぎ、たくさん蓄えたとします。他の誰よりも豊かになったとすると、怠け者のぐうたらたちがやって来て、「あなたは沢山持っているが、我々は持っていない」という。そのとき、銃を持っていなければ、その者たちはやすやすと奪っていくでしょう。
聖書的原理・・・労働の自由、労働で得たものを自分の物にする自由、そしてそれを守る自由は聖書的原理です。そして(人を)殺す聖書的権利をもっているということです。私が勝手に言い出したことではありません、すべて関連しあっているのです。
これが難しいのです。生涯かけて成功を収め、資産を蓄えたとしても・・・それは霊的資産でも物的資産でも構いません。これを次の世代に引き渡すことに失敗すると、あなたの遺業は消えてなくなります。
お父様をご覧なさい。多くの霊的富をもっておられます。統一運動の歴史を通して、お父様を愛して、ついてきたすべての人々。お父様の資産は、外的なものだけではありません。人々のお父様への愛と、名声があります。政府の公職についていた人は大勢、そのような富をもっています。政治家は、知名度をもっています。だからその子供が選挙に出やすいのです。つまり親の政治的遺産をもっているのです。
神様の王国は、主権の王国です。政治的王朝にとどまらず、経済の王朝でもあります。われわれは多くの中産階級の王朝をもたなければならない‐これが問題です。しかしそれは現在の法律では不可能です。神様の王国を語るとき、それは無数の人々の主権を語るのと同じことです。基本原理としてその国は、憲法に規定される基本的権利の上に建てられるものですが、それがどう法律で具体化するかが問題です。
憲法とそれに基づく立法が、大きな独占を防ぐように運営されるなら、中産階級の花咲く社会が生まれるでしょう。中産階級が、次世代に丸々相続させることのできる社会が生まれるなら、世代を超えた中流階級が定着します。相対的に層の厚い中流階級が、世代を超えて続くでしょう。地上天国をいうとき、そのことを語っているのです。王国と国民という場合、一部の貴族階級の相続権だけではなく、国民の30%が同じように相続させることのできる社会を語っているのです。
どのようなタイプの社会でも、自由競争の障害物をすべて取り払うなら、規制や官僚主義を排除するなら、ビジネスや資源の所有者が、たいてい国民の30%を占めるようになります。零細企業から中小企業、大企業に至るまでの経営者の割合がそうなるというのです。まだ労働力になるまえの未成年の世代、退職して一線から引退した世代、それらを除いて、最大30%の人口がそうなるのです。すべての人が所有権を有する社会、つまり30%の人口が何らかの事業を行う社会と独裁者の君臨する社会つまり1人がすべてを所有する社会、この幅があります。
神の国を実践的な面から語るなら、私たちがそのためにしようとしていることは、事業主の数を最大にするような法制度をつくることです。そのことを目指して天一国憲法は設計されています。
明らかにトランプはその方向に動いています。われわれが天一国憲法を学ぶとき、つまり神の国について話をするとき、神の国というのはどこか遠くにあって、歴史を通して狂信者たちが夢に描いてきた、ただの思想ではありません。そうではなく、神の国は実際に建設され得るものです。それは法律、政治、経済、社会の構造を理解することを通して。現実に建設可能な、実際に存在する王国です。その王国はモデルをつくり、その社会の人々にどういう影響を与える社会になるか予測可能です。それはどこか遠くにある架空の、観念的な実現不能なものではありません。今日のわれわれが完全に実現可能なものなのです。その意志があるならば。そこを理解すること、区別することが重要です。
神様の王国は既に存在します。ただそれを建国しなければなりません。神の国はシンプルなものです。神の国についてのお父様の教えは、その「良心」に関するものです。その自由意志であり、幸福追求、その幸福は創造主に対する愛の中にあります。
しかしこれらの単純な言葉、単純な考えの背後には根源的で深遠な、社会構成の有機的分岐がなければなりません。自由意志と良心と主権と相続の原理に従って生きるならば、それはこれまでと全く異なる社会ができます。社会のあらゆる面において。経済や法律、政治、軍事の構造において。その核心的システムにおいて。この変化について考え始める必要があります。この孤立した、信仰の厚い宗教的コミュニティを、いかにして現実の国家にしていくのか。神様の御心の国にするのか。それが問題です。どうやって建設するのか。われわれはそれを考えなければなりません。
私たちの考え方も変えていかなければなりません。キリスト教がお父様を見捨てた後、荒野路程を行かなければならない宗教組織として軍隊のような組織にならざるを得ませんでした。特別な軍隊です。たとえば精鋭部隊になるための規則は非常に厳格で、そこに求められる基準はとても高いものを要求されます。それに対して一般の軍隊、部隊においては清英軍に比べて低いし難しくもありません、もちろん軍としては厳格ですが。
そういう特殊部隊と通常部隊から、一般市民レベルに話を移すとき、軍隊のような組織の在り方が必要ですか。高い低いという基準が必要ですか?
だから今は、われわれが社会でどう生きるか、法律や政府をつくって神様の御旨についての理解をそこに投入し、(軍隊ではない)一般市民社会にどう適用するのか。
(質問者)以前、この問題を話したときに質問として出たことですが、この小さなコミュニティの物流(経済)の問題について、互いにどうかかわるべきかを尋ねました。地上天国の礎石となるためにそうすべきかという質問に、あなたは釣り(漁)、農場を学びなさい、自給自を身につけなさい、とおっしゃいました。
(国進様)それについては今も言っていますよ。自給自足であって、釣りや農業で一家を養えるようにしておく、それも労働の結果を自分の物にする方法です。蓄積した財をいかに相続させるか、いかに自分の仕事、生命を次世代に継承するか、それが主権者として大きな問題であるといっているのです。あなたの仕事や生活は必ずしも物質的なものだけとは限りません。あなたの仕事、生活、それに神の国の追求もその一つなのです。
国進様の質疑応答(2017年5月27日)(5)
自分の子供の中で誰が財産を受け継ぎ運営していくのに最適か、ということだけが問題ではありません。どの子が自分の神の国のビジョンを最高に継承してくれるか、これが問題です。こうした相続に関する問題は皆さんの問題なのです。このコミュニティの試練でもある。自分の価値観、夢、熱意を次の世代に託すことができるのか。これは必ずしもうまくいくとは限りません。自分の世代のように。どうやって同じ熱意を子供に伝えますか。それがコミュニティの本当の試験です。「主権」をもつコミュニティだけが世代を超えて自分たちの信念を実践し、夢を追い続けることができます。その人々こそが神の国、神の王国を建設できるのです。これが深刻な試練であり、真のチャレンジなのです。私たちのコミュニティにとって。地上に神の国を建設しようというのなら。
(ジョン)黙示録の中で「もはや悲しみもなく、苦痛も死もない・・・」とありますが、その前提として皆が、善の道を選ばなければならないということでしょうか。
(国進ニム)全体として見ればそう言えるでしょう。神の国では全体としてそうなるでしょう。ほとんどの場合、95%、99%の人々は幸せでしょう。しかし、1%から2、3%の人は精神異常者であり、大して幸せだとは思わないでしょう。その人々を処罰しなければ社会全体として幸福とは言えないでしょう。だからその聖句は、全体として見たときの様子でしょう。全般的な幸福度ということです。
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